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ぴょん記

こつこつ憶える

季替わりの日永に

 年度初めの今週は、支払もなにもかもゆっくりで延べ送られていると諦めて、念入りにアイロン掛けをしたり、読書をしたり。テラフォーミングと遺伝子改変の技術を引っ提げて宇宙へ進出する新興企業の内外のごちゃごちゃと、造り出された人化動物の無垢な瞳。古代の信仰と未来の生命を繋ぐ無限の世界に属する「魔女」たち。そして、生物にはそれぞれのUmwelt(環世界)の違いを超えて同じ地平に立つことが可能なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

魔女 (IKKI COMIX)

魔女 (IKKI COMIX)

 

 

 

魔女(2) (IKKI COMIX)

魔女(2) (IKKI COMIX)

 

  『ディザインズ』のショーンの大伯母さんのミリアムは、ノミの研究者さんなんですね(ダニじゃなくて。)。

いち漫画読みの似非社会学

 たとえば大きな駅のコンコースなどの公衆の面前で泣きじゃくる成人女性がいたとして、足を止めた通行人が遠巻きになって彼女のほうをみてひそひそお互いに囁き合っているという状況で、彼女の連れと思しき人物から、「見世物じゃないぞ!」という怒号が野次馬に向かって発せられることがある。そう、泣く、怒る、傷つく、そういう幸せでない状態は、往々にして、赤の他人の欲望を引き寄せることがある。あるいは、ある種の欲望は、他者の不幸に吸い付いていきやすいというべきか。

 ぶんか社の刊行物ではないけれど、「主婦の貧困」「性的に搾取される子ども」についての漫画の単行本をKindleで読んだ。いずれもいわゆる「実話に基づく」とされていたが、アサヒ・コムなどを読む限り、ほぼその通りであろうと思う。かわいそうな女こどもの話を、おもに女性が読む。読んで、そういう話もあることを知って、いざ身近に「被害者」が現れたり、以前からの知人が実は「被害者」だとわかったとき、さてどう振る舞うか。そのとき、レディース・コミックで得た知識は少しでも誰かの役に立つのか。

 予備知識をもつことは、少なくとも無知によって人を傷つけるのを避けるために有用だとはいまでも信じている。しかし、例の自主避難の小学生から「奢り」として、総額で百万円超を取り上げた同級生の話など聞くにつけ、ある程度事情がわかっていても、傷ついた人を労る者ばかりで社会が構成されているわけではないと感じる。むしろ、知ることによって、悪いことをしてしまうことさえある。

 とても刺戟のつよい漫画も読まないわけではないが(そして、それらの書名をこのブログに記載したことはない。)、それらの本は読むか読まないかを決めるのが自己責任に委ねられていることは実にわかりやすい。それにひきかえ、貧困や虐待にかかわるコミックや実録風リポートは、かえってごくごく細心の注意を払って接しなければ、まずまっさきに自分にとって害をなす。そして、それだけでなく、その害は自分の内部だけにとどまらず、じわじわと辺りを湿らせる。

春の夕暮れ

 今日など随分あたたかいと感じたが、食料品宅配の人と西側の通路で応対した際には、日差しはあったけれどまだ風はつめたいと思い直した。きのうは、ネットスーパーの人が商品券をくれたので、それをつかいに系列のコンビニエンスストアまで出掛けていった。3年前に買った、のみもののボトルに差し込んでつかうカートリッジを探したが、もとの場所には見当たらなかった。正式名称は、MY SWEET DRINK drop というもので、2015年9月に扱いを終了していたようだ。かくして、サーモス製の丈夫な容器が2つ残った。

助六とお醤油

 きのう、お昼にコンビニエンスストアで買った助六寿司を食べようとして、はたと思いついて、寿司の容器の中を確かめることもせず、台所から豆皿に薄口醤油を少しとってもってきた。つまり、わたしは、コンビニエンスストア助六には醤油をごく少々つかうけれども、助六のパックの中には醤油の小袋が入っていないことを了承しているのだ。そして、ふと思う。皆さんは?と。

 同じ酢飯ベースでも、握りやばってらならば、醤油を添えるのが一般的だろう。また、さかなのちらし寿司の場合、わさびを溶かした醤油を寿司のうえに振りかけて食べることもあるだろう。ところが、おいなりや巻き寿司には、それぞれに独立した塩気がすでについている。おいなりの場合は、甘辛く煮られた揚げに、巻き寿司は中心に集まる具に。だから、醤油は不要という人が多めなのだろう。その巻き寿司の、白い部分に少しだけ醤油を染ませて食べるのがわたしは好きだけど、まあ、なければないで、それもいいかも。

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夏は蕎麦、冬は饂飩

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

 学生のころ、朝、早めに学校へいって、夏なら冷やしきつね蕎麦、秋冬は巻繊饂飩で腹拵えをしていた。働くようになってから、都内と千葉県のいろいろな駅の近くに通ったけれど、駅の周りには少なくとも蕎麦か饂飩のどちらかを食べさせる店があって、いろんな店のたくさんのどんぶりとの一期一会。

 簡易なスタイルの店でさっと食事を済ませ、職場に戻ることも多かったけれど、どんぶりを下げたり下げなかったりでお店を出るときにはやや低い声で、ごちそうさまを言う。お店の人に、ひとりで食事をした自分に、すばやく洗われるために水を潜らされるプラステックのどんぶりに。たくさん割った間伐材の箸に、やまほど振った七味の瓶に。

 

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タオル温石

 構成人数の寡い家庭ではあるけれども、それでも土日の昼夜の食事の合間に洗濯ものの世話に風呂の仕度など外せぬ用事を為遂げ続けていくと、いつしか月曜の朝には懶さを覚えるようになった。みかねたのか、このごろ、昼や夜に外でごはんを食べさせてくれるようになった。ありがたや。働く、いや、そもそも動くに適したあたまとからだの造りをしていないのか、罰当たりにも自分の食む分すら満足に稼ぎ出すことができない。これで料理と皿洗いと、アイロン掛けがきらいだったら、もっとたいへんだよと思いながら、朝の家事を一段落させて、自分の机の脇に置いたオイルヒーターの上のタオルをふと首筋に掛けてみた。あたたかい。血の巡りが助けられるような気がする。春なのに。年をとるって、たとえば、こういうこと。

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 試供品たっぷり。

 寒い時期に、背中の肝臓あたりにやけどをしないようにカイロを置くと、血を造って全身に送り出す臓器の負担が軽くなるとはきいたことがある。歯や顎の力の弱ったご年配が包丁やフードプロセッサで咀嚼しやすくしたものを摂るのと同じで、身体機能の外部化の一種か。

 

上野の桜は七分咲き

 今年は、西日本よりも東京のほうがソメイヨシノの開花がかなり早いという。もっとも、その東京でも、昨日一昨日などはかなり冷え込んでいて花のほころびもゆっくりとしたものであった。そのような花便りをテレビから聴きながら、朝のうちに、劇場版「64」後編。お昼は、しろめしを炊いて、Cook Doをつかった黒酢炒めのおさらい。今回は、基本の豚ばら肉ではなく、らでぃっしゅぼーやの豚小間肉で。あえて塩も胡椒も加えずにCook Doの袋の中味そのものの味を覚えておいて、そのうち材料と熟成黒酢はあるけれどもCook Doがないというときに試してみる。きょうは、丼に白飯を茶碗1杯分と少しくらい盛ってその横に黒酢炒めを置いて、酸くて甘い肉汁がごはんにしみ込んだのを喜んで食べた。/先月末のプレミアムフライデーイトーヨーカドーさんのお菓子セットを税込1080円でふたつ買った。亀田製菓や三幸製菓の米菓を中心として、塩気のおやつがたくさん入っていた。それを100サイズのユニクロの箱に詰めたらなんだかんだでちょうどぴったりだった。きっとハハらのお茶請けになるだろう。同じセットをうちでも開けて、わたしなどサラダ煎餅を麦茶でたくさん食べてしまった。

 

  キャスパルが生まれる直前の話は読んだことがあるけど、セイラさんの戦後と、出雲大社詣での話は未読だった。朝日ソノラマ版の3巻目のラスト、「セイラは、もう、自由に泳げるのだ。」のくだりを思う。あの時間線上では、シャアは最終戦闘終了後、演説をぶっていたけれど、たしか、アムロは、そのときすでに戦死していた。