ぴょん記

こつこつ憶える

それは学歴ですかそれとも学校歴ですか

 べつにしあわせになりたくてまたなれると思って、ながなが学校に通ったわけではないです(かといって、ふしあわせを回避するために、あるいは、ふしあわせだったから、ということもありません)。

 また、学校滞在期間がそのまましあわせ度数を測るための変数になるちゅう思考も、なんだかぴんときませんな。

 

 それはさておきですね。

 

 前のエントリ、 あのこ、ずるい - colorfuldays_e_pyonpyon21 で書こうとした問題は、つまり、『他事考慮が効きすぎて、ほかの「候補者」に本来与えられるべき機会を奪ってしまう特定の「候補者」の存在は、ほかの「候補者」にとっても、その組織体、ひいては、社会全体にとっても、都合が悪い(=そういう他事考慮をする「選考者」は、都合が悪い)。』ということになるかもしれない。

 

 そういう、いわゆる機会の付与に関する阻害要因、いわば、オボチュニティ、いやさ、オポチュニティについてギビングすることをインペードする何かを最大限、排除するのは、易しそうにみえて実は難しいことだろう。氏名、住所、生年月日、性別を隠し、出身校を見えないようにし、写真ももちろん実物も目にしないようにして、選考の対象となる能力だけを測った場合、そのポストに必要とされる能力の十分条件必要条件を充足する「候補者」がただしく残るものか、そこにはなんの保証もない。

 

 そのような無機的な選抜方法よりも、むしろそのポストにふさわしい「候補者」について、そのポストが要求する記述されざる要件を知る「選考者」の嗅覚を信頼するほうが好まれて用いられてきたし、採用後も,少なからず、「選考者」による元「候補書」の人的保証という含みは多少なりとも残されていたかもしれない。おいあいつ採用したときのリクルーターいったい誰よといわれないように、折に触れてなにか困っていないかと声を掛けてやる、例のあれである。

 

 この項つづく。