ぴょん記

こつこつ憶える

頑張らなくてもいいから結果を出して

 このエントリのタイトルにしているフレーズを数週間前にネットで見掛けたとき、わたしは、その意味するところをすんなりとそのまま受け取ることはできなかった。つまり、フレーズを口にした上司なり先輩なり(以下、便宜上、「Pさん」とする。)は、「結果を出せ」と望むのと同時に、あることをしないことを聞き手に期待していると感じたのだ。

 

 この「あること」とは、「頑張っていることを(組織の人、とくにPさんに。)殊更にアピールすること」。頑張ることなく結果が出せるとは、Pさんだって考えていない。ただ、「頑張る」姿は、白鳥の湖面の下に隠した脚のように、なるべく人前に晒すことなく、スマートにやってくれよ、と。

 

 わたしの脳内のPさんは頭の隅で考える。自分もかつて新人であり、「頑張る→よい結果を得る」ということを期待されていた。ここで、「よい結果」が得られた場合はよい。しかし、「よい結果」が求めて得られなかったとき、その前の「頑張り」が、よりつよくおおきく周囲に認識されていればいるほど、そして、「頑張る→でもよい結果が得られない」ことが重なれば重なるほど、本人と周囲の落胆や失望は深くなる。試行と過誤をめげずに繰り返すことが期待されがちな初任者研鑽期間において、心がぶっつぶれておれそうになるような心理的要素はできるだけ減らしておいたほうがいいかも、なあ。

 

 とはいえ、脳内Pさんとはいえ、社会ではたらくひとりのおじさん/おばさんなので、最初からあんまり前のめりで頑張ってる姿を見せられてもコケたときいちいちフォローしてあげられる暇人はこのセクションにはいないからなんとかほどほどやってる感じで(でもしぬほどとはいわないけど手抜きせずにしっかり努力して)いい結果出してくれればもういうことないです、なんてことは申しません。

 

 なぜなら、それは、あまりに虫のいい話ですもの。職場によっては、Pさんに求められるのは、過干渉すれすれで、ときに、煩がられるくらいに、後輩や部下の動静に気を配り、業務やときには業務以外の身体や精神の健康まで見つめることかもしれないし、そうではなくて、後輩や部下が単に動いていることをチェックすることだけかもしれない。でも、どんな職場であろうが、頑張る姿はみたくないけどよい結果だけもってこい、と受け取れるような発言は危険だ。

 

 ゆえに、中間は抜いて、頑張らなくてもいいからよい結果を出して、というはめになるのかな、と。