ぴょん記

こつこつ憶える

働きと暮らしと

 昨日は、仕事を優先してひるめしを後回しにした。もうこの年だし、ひるめしを食べないことにしてもいいようなものだけど、なにしろ病み上がりであるし、朝はともかく夜に一日の必須熱量の半分を蛋白質中心で摂取できる胃腸の力はないし、ということで、ひるめしをいただくのはやはりやめられない。

 

 ゆうめしまであと数時間なのにひるめしをたべてしまったわい、と、消費税分の罪悪感ととも連れで食後の茶を啜っていたら、テレビで、先月の27日に東北地方で放送された福島県大熊町の商店街の人々の現在をしらせるルポルタージュが。佐藤B作さんがいまの商店街を跋扈する猪としてナレーションを務めていた。

 

 もともと中高年の商店主が多かった商店街の人々は、現在、大熊町の多くの人が避難している会津若松市仮設住宅などで暮らしている。仕事をして寝起きをするという生活の基盤を手放さざるを得なかった商店街の皆さんのこの3年余りは、わたしがここで軽々しく一言にまとめるべきではないだろう。もともとお商売をして生計を立てていた独立心旺盛な人たちにとって、年金と補償金を受け取って、仮設住宅で過ごす時間は、かなりきついと思う。

 

 大熊町を離れた土地で再起をはかった人たちもいる。被災から9か月目にいわき市で営業を再開した洋菓子店のご家族が、これだけは、と持ち出したのが、お店の宝物であるレシピノート。店主夫妻と3人のお子さんがたがフランス菓子を作り続けている。ただし、このようにお店を再び構えられる人たちは、多くはない。

 

 福島・宮城・岩手の3県について、心がけて産品を購入したりはしているものの、青森・秋田・山形だって、同じ東北地方の県として、太平洋側の各県を有形無形の方法で支えているのだから相当たいへんだろう。東北のお祭りが華やかで、土地の人々がお酒が入るとかなり陽気になるのは、ざっくりとステレオタイプな表現でもうしわけないけれど、もしかしたら、冬が長くつらく、寒さだけではなく、そのほかの苦難にも堪え続けることを強いられてきたからなのか。

 

 番組スタッフに撮影してきた映像を見せられ、かつての商店街での生業を思い出し、そっと涙を拭う70代の男女は、わたしの伯父伯母と同じ年頃だ。この人たちにとって、大熊町に戻ってお店を再開するという「最善」の次や、次の次に、望ましい暮らしというのはどのようなものか、じっくりこっくり続きの取材をお願いしたいです、NHKさん。

 

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