ぴょん記

こつこつ憶える

長い日記を書いてみよう

 このブログの1エントリあたりの文字数は、少ない。だからといって、ことばを慎重に撰んで文章を綴るわけでもなく、心に浮かんだことばを鉛筆でがりがりと書き付けている感じ。それでも今日は朔日でもあることだし、寝不足ながら仕事で終日机の前にいるわけだし、思いついたら続きを打つというスタイルで、せめて3000字くらいは書いてみようと。

 

 ちなみに、現在の寝不足は、仕事をしていて生じたものではなく、眠いのを我慢して、iPad miniKindle アプリで小説を読み、眠りに落ちては目覚めて続きを読み、というのを繰り返した結果、陥ったものである。こうでもしないと、自力で適度な時間眠って目覚めるという習慣が戻ってこない。長縄飛びの描く空間に縄に引っかかることなく飛び込んでそのまま離脱することにも似て、眠りというものは、いったん周期を掴んでしまえば心地よいものだけど、それが乱れるとしまいにはひどい心弱りを連れてきてしまう。もっとも、心弱りが不眠のほんとうの原因であることもあり、原因と結果の関係は、素人のわたしにはわからない。ともあれ、眠りに向ける欲望をより切実なものにするために、既に何回か読んだ小説のページを執拗にめくり続ける。正確には、タブレットの左隅をタップしていく。4時過ぎまで断続的に粘って、6時に起きた。

 

 9月になった途端、ベランダの朝顔が短縮営業に切り替えたらしく、大輪の和種が明らかに少なくなった。西洋種もこれだけ咲かせておきましたと事務的にまるで供出させられたように地味な感じ。それぞれ小ぶりの鉢の中の、十分に豊かでもない土の中に根を張って、プラスティックの支柱や麻の紐を伝って、上へ上へと蔓を伸ばしていた朝顔や夕顔は、きっとあとひと月ほどは枯れない。枯れたあと、寂しくならないように種を取り寄せていた二十日大根の混合やチシャの種は、うまく実らせる自信がなくて、田舎のほうに譲ることにした。田舎のほうでは、曲がりなりにも野菜が大きくなっている土があるから、きっとそれらの種も、毎朝のサラダや汁の実くらいにはなるだろう。そうなってくれればいいと願う。

 

 鉢で生きているめだかは、正確な実数が把握できないまでに殖えた。そして、6月に仕入れられた最初の世代の10匹は8月中旬までにいなくなった。早朝、白い腹をみせて浮かんでいる個体を掬ってお弔いをするのは残念なことで、そのまま家族に伝えることもできかねる。数日経った夕方に、たとえば、あの薄紅のひとが一昨日亡くなってました、と云うのがせいぜいだ。ところで、わたしがお弔いした個体は5つほどで、残りは浮かんでこなかった。飛び跳ねて鉢の外に出てしまったり、猫さんにやられたりしたわけでもないと思うけれど、いったいどこに消えてしまったのだろう。ともあれ、かれらの過半数は雌だったらしく、生きている間にせいだいに産卵して、親のおもかげをうつした大小さまざまなこどもを残した。

 

 以上、ベランダでひそやかに営まれている農業と漁業について述べた。営利目的ではない、花卉栽培と観賞用魚養殖。

 

 と、上のパラグラフまで書いて、仕事と昼寝と家事を挟んで戻ってきた。仕事の途中で、あさごはん抜きだったから多めの昼食もとった。白ごはん300グラムにビーフカレー、しかも、その上には、薄いほうのチキンカツが載っていた。炭水化物に脂肪、蛋白質もたっぷりだから、神経を遣う細かい仕事時には不向きのメニューのはずなのに、カレーのスパイスの香りがそれらの含む不利益な点をうわまわる刺戟を運んでくる。なぜかはわからないが、こういうメニューをさっさと平らげたあとは、心置きなく、歯を磨いてすみやかに仕事に戻れる。むろん、ハヤシライスでもチキンライスでも締切当日なら同じく机の前に直るのだが、そこは、気分がずんと異なる。これらは、本来ならば、食後ゆっくりお茶を啜るべき「洋食」で、そこをワンプレートで切り上げて食卓を去るというのは、後ろ髪引かれる思いである。

 

 

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 下の写真のまえのほうの花は、咲いた当座は薄紫なのに、時間を追うごとに明るい色の部分が花弁に広がっていく。色素が酸化しているのか、ほかの理由によるものなのかはわからないけれど、ほかの朝顔、とりわけ、洋種の小さいのが咲いたでござると誇らしげに夕方までの命を示している間に、この大きな紫はどんどん色が移っていくのがなんとも思わしげで慕わしい。大輪のは、咲く前日の昼過ぎくらいから蕾に水分を集めて準備を始め、朝になるまでに一生懸命花弁を拡げるのに、わたしの世話の仕方が悪いのか、半分くらいは裂けてしまう。そこもまた気の毒で、いい。

 

 仕事を一段落させて、顔を洗って昼寝に入った。雨が降って涼しいので、今日は空調もなし。罹患以来1か月に及ぶ帯状疱疹がおそらく表面上は最後のフェーズに突入したらしく、にわかに痛くなったり痒くなったりする。痒みは痛みの軽いものだというが、かならずしも痒みが痛みの前駆症状であるわけではなく、お腹の皮を突然あらぬ方向に引っ張られたような痛みがやってきて、ひとしきり私を泣かせたあと、悠然と去っていく。疱の痕に衣類が触れて動くとそれが起こる気がするので、昨日からはらまきをしている。さすがに少し蒸れる。このまま神経に痛みを残すことなく治っていけばありがたいけれども、水疱瘡のキャリアは帯状疱疹を繰り返す可能性が大きいそうで。帯状疱疹は、疲労が溜まったときに罹りやすくなるそうで、私は、別の病気でも疲れないように暮らせと云われているから、穏やかに過ごすことは私にとって幾重にも大切なことなのだろう。ところで、この夏、ぼちぼちの仕事とわずかな家事しか手がけていないのに帯状疱疹に罹った。ということは、現在の私に許された労働量というのは、まことに僅かなものであるということ。その事実が、冒頭に触れた不眠の原因である心細さとか心弱りに繋がる。

 

 ただし、そういう身の上であるということが、西洋医学によって示される検査数値でもって目に見えるかたちで明らかにされたのは、悪いことばかりではない。なんとなく気分がすぐれないという状態から、一日にプリン1個が食べられませんという状態になるまで、とても傾斜の緩やかな坂を転がって転がってのんびりしていたら急に傾斜のきびしくなりかたがきつくなっていったのだ。

 

 先日、手指の痺れなどを相談しにいった整形外科等を標榜科にしているクリニックにいった。それは、私が、自分の病を帯状疱疹とは思いもよらず、へんに捻ったことによる筋肉痛だと誤解したためだったが、一目見てこれは帯状疱疹だから皮膚科だ皮膚科いきなさいといった院長が、カルテをちらりとみて、その後、リウマチのほうはどう?と聞かれた。最後にここに掛かったのが昨年の2月の半ばで、その3か月後、まえの大学病院に入院の運びとなったので、じつは、ほにゃほにゃで長く入院しましたわ、と報告すると、院長は、「そっか、ほにゃほにゃか。じゃ、なかなかわからないわなあ。」と豪快に送り出してくださったが、そのくらい気強くないと、開業医はつとまらないのだろうな。こちらは、手指の痺れがなくなった段階で話し合って通院をやめたので豪快だなで済んでいる。ただし、ほにゃほにゃの典型的症状ふたつを見事に見落として塗り薬だけを処方して次回の予約もブックしなかった4月にかかった皮膚科の個人クリニックのほうは、さすがにどうかと思う。

 

 以上、3035字でした。みんな、長文で頻繁にブログを更新していて、すごいな!でも、けっこう楽しかったです。ここまで読んで下さってありがとうございました。