ぴょん記

こつこつ憶える

9月のはじめをやり直し

 今日の東京東部は、よく晴れて、最高気温も昨日より4℃ほど高いという予報。ところが、4℃の差で収まるかどうか、すでに怪しく、それでも晴天に機嫌をよくして、ときおり予測できない方向に攣れるハラの皮を引き摺りながら、洗濯ものを干した。

 

 

 日向水というのは、何本かの大きめのペットボトルに水道水を入れておいて、2日ぐらいカルキ抜きをしたもの。めだか鉢Bは、蓮の葉が田螺に喰われてぼろぼろになっている。そして、鉢の中にどのくらいのめだかがいるのかよく分からないくらい、水が濁って、つまりは、透明度が低下している。水を入れ替えるべきだと判断した。

 

 小さい紙コップでもってめだか鉢Bから薄緑の水を少量ずつ汲んでは、ボウルに放つ。万一、間違ってめだかを掬っても、なんとか逆サルベージしてもとの鉢に戻したいと思う。汲んだ水は、夕顔の大鉢に吸ってもらおうときめていたので、その夕顔の根元で間違って汲み上げられためだかの小さいのが干からびているだなんて、ぜったい避けたかった。蓮鉢のつもりで置いたものにめだかを入れられて、行きがかり上、事務的に世話をしていると自分ではいっているけど、個体把握できないなりに、いわば集合名詞「めだか」に向けて、もしかしたら、だんだん愛着が湧いてきたのかもしれない。

 

 水を換えられためだか鉢Bは、透明度も増して、明らかにほかの2つの鉢のとは異なる動きをする連中が元気に泳ぐ姿が観察できるようになった。その動きというのは、あめんぼのようにすばやい方向転換がしきりに繰り返されているという程度のものなのだが、いまのところ。

 

 ところで、土日に秋刀魚を焼き、きのうは生鮭を蒸したのだが、愛玩する魚類と賞味する同族との対照が切ない。ガラス戸一枚隔てて、眺められたり、喰われたり。

 

 これなにもしかしてコミュニケーション能力偏重社会と違うか、と思わないでもないブログ記事幾つか。たとえば、なにか問題が生じたとき、ぱーっと明るい雰囲気じゃなくても、その問題について、より的確な識見をもっていると思しき人に、私なら真っ先に相談にいくけど。世間では、そうじゃないのね、とかくとりつきやすいタイプが重宝されるそうで。

 

 また、持病をかかえて必ずしも好待遇ではない職場で、それでも一生懸命働いている女性のブログ記事にほろりとなる。私も腐らず、生きていきたい。