ぴょん記

こつこつ憶える

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 もう気負うことなく、病篤く無力な身の上であることを受け容れよう、と。前2回の入院時は、携帯電話やiPad mini のカメラで、いろんなものを撮影してはFotolifeに放り込んでいたものだけど、今回はそういう気にもならない。

 

 一旦入院してしまえば、その先、1年の何分の1かは外に出られない、それがわかっていたのに、選択の余地なく、勧められるままに入院してしまった。在宅のまま、治療を継続するという強い希望は通らなかった。免疫抑制剤の処方箋で医師と繋げられた仲では、こちらの意思のみを貫徹することは難しい。

 

 別の、ある種の重篤な疾患では、一定の条件が調った場合に、それ以上の積極的な治療を行わず、緩和ケアを旨とした看護が行われることもふえてきたらしい。しかし、わたしの長患いの原病では、あくまで病気と闘うことを求められる。それは何遍でも長期の入院を繰り返し、そのたび仕事や家庭から否応なく引き離されることを意味する。

 

 たたかえ、と。少なくとも、公的には。

 

 ほんとうのところ、どうなのだろうか。病気の再燃に際して、免疫抑制の強度を増やすことを選択せず、つまり、積極的な治療を行わずに、おそかれはやかれやってくる最期を自宅等で迎える、という選択をするひとは、同じような病気で、年間どのくらいいるのだろうか。ゼロではないにしても。

 

 残していけないと思うひとはこの単色の泥沼生活に引きずり込みたくもないひとでもあるので、おたがいがぼろぼろになる前に、なんとかならないかなあと。もっとも、「なんとかなる」というのが、どういう状態を示すのか、まだよくわからないけど。