ぴょん記

こつこつ憶える

疎まれても生きる

  ばちあたりを覚悟の上で書かせてもらうと、二十歳前後から、自分には、フルタイムで働くことは無理なんじゃないかという気がしていた。身体より先に、こころのほうが壊れるような予感がして、きついきつい状態に陥るのを恐れる気持ちが強かった。

 

   ところで、実際には、朝の7時から、夜の11時まで働いていた時期もあるし、それよりずっと長く作業をしていた時期もかなり長かった。そして、あらかじめ心配していたほど、こころのほうは、こわれなかった。むしろ、身体のほうが、おじゃんになった。

 

   どうやら、わたしの人生の一大テーマに、『疎まれても生きる』というのが与えられていたようで、世の平均よりはきっとずっと恵まれているに違いないのに、しかし、いろいろな場所で、たくさん我慢して、いっぱい気を遣って、でも、居場所を与えられず、排除されてきた。

 

   それは、しょうがなかった。我慢して、自分の中でぐるぐる苦しむうちに、能力の半分も、4分の1も、やがて、10分の1すら、発揮できなくなっていったのだから。契約通りに稼働できないことは、排除する側としては、追い出すのに格好の理由となる。それは、また、追い出される側であるこちらにとっても。

 

 幸いなことに、わたしの当座の苦しみのほうはといえば、しばらくその場を離れることでなんとか収まる。学校を卒業するとか、部署を異動するとか、不本意ではあるけれど友達づきあいをやめるなどして。面と向かって侮辱されたり、SNSで専らストレス解消のために恒常的に槍玉に上げられていることをきかされても、『ふーん。』とやり過ごしてこれといって対処してこなかった。

 

   なぜなら、わたしは、デフォルトで疎まれるようにできているのだから。そういう自分でも、わたしは、受け容れるつもり。根拠もない人の悪口は滅多に云わないという気付かれにくい特質を抱えて。

 

   そういうやつでもたまには話してやろう、という方なら、きっとお友だちになれると思います。