ぴょん記

こつこつ憶える

終活

 のこりの時間が区切られてしまうと、もの惜しみする気持ちが強くなり、もとよりたいしてもっていなかった熟慮する習慣というものからさらに遠く離れるようになった。

 

 院外での通常の暮らしを振り返って、あれが食べたいこれが食べたいと仰る他の入院患者さんさえが哀れがるほどの熱量に乏しく塩分もカットされしかも糖質割合をさらに絞った(そろそろもとに戻したほうがよいのではないかと誰もが指摘しつつ、誰もそのための措置を取らないでいる。)3度の食事についても、命を繋いでくれさえれば、もういっそのこと、たとえいちばんやすいドッグフードになっても文句はいわずとおこうとさえ思う。

 

 もう、なにを食べても、大差はない。

 

 それはともかく、わたしの拝見するかぎり、食事中に目の前のメニューについて、あしざまに罵るむきがまったくおいでにならないのは、さすがに、と感心する。病気は、とくに、入院が必要な程度に篤い症状を伴った病気というものは、その人のふだんの行動や感情に多少なりとも変化をきたしてしまうものらしく、残念な例も多々みてきたので。

 

 さて、家で死ぬかそれとも病院や老人ホームで死ぬかという選択がアメリカ合衆国の何百万人という高齢者の一大関心事、というのが、昨日、ひさしぶりに聞いたラジオのビジネス英語のビニエットの内容。今週の通しのタイトルは、「終活」。