ぴょん記

こつこつ憶える

はたらきといえるほど今後かせげるのか

 昨夜の21時ごろから、珍しいことに時折睡魔に襲われながら、PCに向かって仕事をしていた。現在、朝の5時前。眠いのは、弱い眠剤の一番小さいののさらに半分が眠前に処方されていて、それを服んでしまったからだし、そのあと、300ml未満だけど無糖の缶コーヒーを飲んでいる。

 

 日付変わって1時半くらいまでは、持参の小さいテレビやらを観ながら過ごす人もいたのだが、そこからは、ひとり。たてのものをたてにすることにこんなに苦労するようになるなんてと情けなくなり、自分の身の置きどころを選べない境遇に悲しくなり、しかし、たとえドッグフードでも出てきたならばたべるという覚悟をきめたからには、意地でも空腹は意識しないようにしている。

 

 毎日顔を合わせるたくさんの医療従事者が、仕事で担う責務のあらわれとして、あれこれわたしに指図していることは熟知している。行われる役務の提供は、この病院を設置する「法人」と彼らとの間の労働契約の内容であり、同「法人」と私との間の診療契約ないし入院契約の内容をなす。実際のところ、この大学病院の医療技術そのものの水準はとても高い。

 

 掃除はあれだし、食事はこれだし、カフェのポットサービスに至ってはぐるりと回ってまさに新機軸といえないこともない。しかし、ともかく、お医者さんそのものの腕に関しては、コアコンピタンス。……なんだろうと想像する、わたしのしらない診療科においても。

 

 お医者さんは優秀で、きっとこのまま病院にいれば、病気をつよく叩いてくれるに違いないのに。

 

 それでも自分について1年後、2年後と考えたとき、何度かの侵襲的な治療で衰えた身体を引き摺りながら、具体的に月に幾らくらい稼いでいたいのか、あまり明るくのんきな答えは出ない。

 

 10年前くらいにネットで知り合ったともだちがいて、これが闊達なツイートを飛ばすなかなかの好青年なのだけど、このごろ珍しくネガティブな発言もみられるようになった。ビジネスはうまくいっているようだし、家庭的にもかなりお幸せのようだし、と安心して眺めていられる盤石さにいささかもかけるところはないけれど、そんな人だからこそ、ときにはいろいろ煩瑣なことに取り巻かれることもあるだろう。でも、この人の廻りならば、またすぐにうまい具合の巡り合わせがある、と思う。そう願う。

 

 さて、自分のことはどうなのだろう。それなりに深刻な疾患を抱えているとはいえ、まったく身動きがとれないわけでもなく、かといって、もともとフルタイムで働けるほど人並みでもなく。そういう身の上だから、かえってお金はかかる。たくさんは、そう、すごくたくさんはいらない。でも、ある程度は生活費と療養費にかかるので、日頃から心がけて稼いでおくことが大切。

 

 わたしにとって、労働と運動はよく似ている。どちらも必要だが、やりすぎると疲労がたまってかえって損をする。多かれ少なかれ誰にとっても似た関係は当てはまるが、わたしのは傾斜が急というか、結果が極端に顕れやすいので、おそるおそる始めて、様子をみながら少しずつ増やして、ぐったりする徴候が少しでも出たら躊躇することなく仕事の量をセーブしなければならない。

 

 そんなんで大人の仕事ができるのだろうか。

 

 「大人の仕事」ができなければ、そうじゃない仕事をすればいいのか。でも、「大人の仕事」じゃない仕事って、いったいどんなものなんだろう?