ぴょん記

こつこつ憶える

以前の暮らしへと戻すもの

 2年前の今頃、わたしが比較的自宅に近いB大学附属C病院に入院して1週間が経過しようとしていた。血液検査の結果その他からほぼこの疾患名で間違いないとわかってはいたけれど、確定診断のためにはなお多くの検査を要するとして毎日あれこれ調べながら、それに並行して本格的な治療も始めて、という段階だった。

 

 その全身検索の過程で、外科手術を要する病気も発見され、手術に向けての手順が重ねられていった。すでに数年前から疲れやすく、午前中はなるべく横になっていなければ、午後、一日のタスクをこなすことができない状態に陥っていたわたしは、ひとつの内科的疾患、別の外科的手技さえ要する疾患のふたつを抱えていたのならば、あるいはこういう不調も起こりうるだろうなとどこか他人ごとのように医師の説明を聞いていた。

 

 自分の身体の世話は、もうずっと後回しだった。按配すべきことがたくさんあるような気がしていて、どんどん内に籠もりながら同じ場所で旋回していた。そうなるように強いられたわけでもなく、かといって自ら意思をもって選択したわけでもなく、自身の不調に対する結果的無関心は中年期に特有の不摂生ぐらいに軽く考えていた。

 

 手術そのものは、うまくいった。ある日の午後に手術を受けて、翌日の午後に、麻酔や各種の管を身体に繋いだまま、看護師に促されて廊下まで往復した。

 

 強く印象に残っているのは、外科手術のあと、食事をとれるようになってから、おかずとして毎回出てきたのは、大根と人参の煮物で、煮方と味付けはまったく同じなのに、なぜか素材の切り方が食事毎に異なっているという点だった。

 

 ともあれ、そこで拾った命だった。

 

 初秋に一旦退院して、3か月後に内科的疾患が再燃して再入院。

 

 その後、内科的疾患のほうの治療方針の関係で、かかりつけをB大学附属C病院からD大学附属病院に移すことにした。ただし、なぜか患者としてのわたしの都合のみで、では来週からこちらに通いますというわけにはいかないということで、病院を移るのに約5か月を要した。そのころ、帯状疱疹を患ったり、数値が急激に悪くなったりしたので、次の入院先はD大学附属病院になった。

 

 2年間に3回の長期入院(+点滴のための数回の短期入院)で、病院の外に出られない、必要な物資が容易に手に入れられない、足腰が弱る等、以前の暮らしとの間の差異が強く意識されて、一種の拘禁経験のようになっている。初回の退院のあとは、夜中に眼が覚めて自分の寝室にいることに安堵の念を覚えたものだが、このごろになると同じ状況でいやいつまた入院になるかわかったものではとかえって物憂い気分になることが多い。

 

 以前の暮らしにあったのと同じ、なにか落ち着くようなことをゆっくり思い出して、徐々にそれを取り戻していきたいのだが、それがなになのかもうわからなくなった。