ぴょん記

こつこつ憶える

読んで、しまう

 そのラブホテルは30年の間、北の大地の湿原に面した場所に建っていた。市内の看板屋の一人親方が、業者の口車に乗せられてつくった。彼を後妻と彼女との間に儲けた娘もろとも借金漬けにしながら、ともかく30年間、1階は車庫、2階が客室で6部屋あるそのラブホテルは営業を続けてきた。

 

 オムニバス形式で、人間と人間、その間に流れる欲望が描かれてはいるが、性的な色彩は淡く、作中、むしろ切実なのは、金銭欲だ。それも贅沢をするためのカネではない。今月、あと幾らないとおかずどころか主食も購えないから、そのカネがほしい、という種類の欲。

 

 貧しさを示す道具立てのひとつは、食べものである。

 

 桜庭一樹『私の男』では、東京に落ちのびてきた男と娘のつましい食生活を暗示させる食べものは、働かなくなった淳悟がおもに食べていたと思しき袋入りのロールパンだ。彼は痩せ細るが、なんとか命は繋いでいる。さて、本作のひとつに出てくるのは、三世代同居世帯の昼の贅沢として挙げられる、「葱をたくさんちらした蕎麦」であり、また、別の小品で示されるのは、看板屋の愛人が口にせざるを得ない「売れ残りの団子」である。若い夫を養う還暦の掃除人が早朝に3つもって出かけて、昼2つ夜1つ食べるおむすびも、ごく事務的に咀嚼されて消化されるだけのものだ。

 

 わびしい。函館市を舞台にしたあの映画以上に。

 

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 こちらは、Kindle版。

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 北の大地の豊穣やラムサール条約云々の叡知、そういう輝きが、まったく差し込まない昏いラブホテルの人工的な闇の中で、貧しさと閉塞感が人間を苛んでいく。希望は、どこかにあるのか。

 

 これもKindle版です。

ホテルローヤル (集英社文庫)