ぴょん記

こつこつ憶える

一所懸命おうちにかえろう

 わが国の男子サッカーの試合を観ていて思うことがある。球を蹴る瞬間の直前、しばしば説明のつかない空白の時間が流れるのはなぜか。その僅かではあるが確かに存在する余白に、プレイヤーは、同僚選手の気配を読もうとする。まるで、自身の蹴り込もうとする方向と強度への明示的な賛同を求めるかのように。そんな時間は、ことに国際試合においては、まったく許されていないのに。

 

 以下は、まったくの私見。一流のJリーガーでさえ、過剰に仲間の表情を窺ってのちにやっと身体を動かすこの「作法」、これは、「空気を読むこと」が日常的に強く要請される小学校低学年から続く学級生活の後遺症ではないか。学級内においては、教師に反撥することよりも、同級生の大半の感情を逆撫ですることのほうが、より危険度が高い。その結果、たとえ運動神経のすぐれた、学業成績も真ん中よりは上、見た目も悪くない児童生徒であっても、クラスの大向こうがなにを感じているのかに敏感にならざるを得ない。狭い島国の旧農業国ならでは。

 

 とはいえ、サッカーでは、相手ゴールにボールを蹴り込まなければ始まらない。チームメイトは自分を確実にサポートすると信じてすばやく動くしかない。野球なら、ひとたび出塁すれば、相手チーム9人が走者を公然と「殺し」にかかってくるわけだから、命懸けでホームに戻るしかない。サッカーだってことの本質は同じはず。生死の境にある野生動物は、仲間の表情なんて読まないものだ。

 

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