ぴょん記

こつこつ憶える

浦の苫屋でございます

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 ネットの中の文章、とくに、発言小町や、はてなアノニマスダイアリの手記系のエントリは、あらかじめこまやかに状況を説明して、語り手に落ち度がないこと又は落ち度があったとしても少ないことを示しているものが多いように思う。そうではなく、レスポンスがある程度ついたのち、補足するかたちで追加の状況説明がなされると、それが重要と思われる事実であれば、「あとだしじゃんけん」の誹りを免れない。書き手たちは、責められるのを避けようとして、はじめの段階で、自らの側のトラブルへの寄与度を小さくみせることに腐心する。

 

 寄与度……。「敢行」と同じく、まったく不思議なことばだとは思うけど。

 

 小説などのふつうの読み物はそうではない。意図せず、または、何らかの計算のもとに、説明を尽くされていない単一又は複数の人間が現れて、架空の空間を動線で埋めていく。行動や感情や事物の動きは、記述されたりされなかったり、明示されたり仄めかされるだけだったり。なにかが抜けていても、ずいぶんあとになってやっと明かされても、それが問責の対象となることはほとんどない。

 

 このところ、なんとか毎日、このブログのエントリを書き続けるようにして3週間ほどが経った。きのうのエントリの中で、ひさしぶりに、はてな記法を遣って脚注をぶら下げてみて、でもこれって地の文で書いても脚注に仕立ててもなんとも収まりのつかない、いいわけめいたひとくさりだなと感じた。少しずつ、発言小町や増田で書く人の心性に近づいて、自分のブログのエントリを埋めていくようになっていっている。こういうのは、注意深い行いにみえて、あとで読み返したとき、まず自分が楽しくない。

 

 ブログのエントリなんて、誰かが読んだとき、穴だらけ隙だらけでも、誰も困らない代物で十分なはずなのだ。

 

 

イカ大王体操第2

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  もう一回、宣伝。レオタードユニット「カッツアイ」の体操もキレッキレ。それにしても、ナオミの麺紀行の八戸のラーメン、すごい量の煮干しでだしをとってましたね。NHK 「LIFE」は観てます。