ぴょん記

こつこつ憶える

厭な気分と買いもの

 こども時分に読んだ、よろづ生活の智慧雑記のような書物に、「なにか厭なことがあったからといって、憂さ晴らしに着物を作るのは考えものです。その着物を見るたびに、それを作った当時の厭なことを思い出して気が滅入るでしょうから。」とあった。なるほど着物はなあ、と、こどもごころに合点がいった。もうその当時から、ふつうの人にとっては、反物を選んで仕立てに出して、畳紙に包まれた和服を届けられるというのは、けっこうな贅沢で、そういうたまの贅沢が気晴らしの契機となった厭な記憶に汚されるのはいかにももったいない。とはいえ、ふだんの買いものの範囲では、たとえ気晴らしになにか買ったとしても、そこまで怨みも残留しないでしょう。

 

 それはそれとして、わたし、このごろ立て続けに2件ほど気を腐らせることが起こって、しかも、ベースにそもそも病気で自分の身体が思うに任せないという不如意があるものだから、買いもので気が晴れるならば、多少の銭を出す準備もありますよ、とも。でもなに買おうか。和服や石には興味がないし、本もとんと読まなくなったし、おいしいものもなんだかねえ。「ほしいものが、ほしいわ」という、糸井さんの名コピーほどではないけれど、消費でなんとかこの悲しくて憤ろしい気持ちが収まれば安いものだと思うけど、きっとまた新聞ばっさばっさ畳みながら読んでいるうちに、頭の芯からいろんなことがほらーっとばらけて、窓から皐月の空に向かって飛んでいくに違いない。「他人の欲望を欲望する。」とはよく言ったものだとは思うけど、わたし、ひとがもっているならわざわざわたしまでが買うこともないと思ってほしくならないほうだし。