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ぴょん記

まじめにはたらく

年をとると1年が過ぎるのが

 早い、というのが定説で、その理由は、経験した年数を分母に、1を分子にそれぞれ据えたときの値の大きさが年を経るとともに、つまり分母が大きくなるにつれて小さくなるからだ、というもの。たとえば、主観的には、45歳にとっての1年は、15歳にとっての1年の3分の1の長さでしかないというように。

 その派生の一種なのだろうか、このごろ、夏のオリンピック相互が、かなり近接して感じられる。とくに、北京からロンドン、ロンドンからリオデジャネイロの、直近8年間が短い。北京五輪の開会セレモニーの花火がCGだったとか、つい昨日の報道のようにも思える。ロンドンのオリンピックの前年には東日本大震災を東京という場所で経験しているし、ここ数年は毎日やまほど薬をのまないとたちまちのうちによわってしぬという疾患につかまっているし、で、ぜったいに自分の死命について割り切った考え方をしているはずなどないのに、どこかわたしはいろんなことにどんどん無責任になり、昨今では、従妹たちから、あねさまご自由ね、などと惘れられている始末だ。

 目下の各疾患が悪化して、次のオリンピックの開会式までに、わたしはしんでいるかもしれない。とはいえ、病気、事件、事故、災害など、人はさまざまな事柄を原因として生命を失うものであり、自分の場合はその躓きの石のひとつが現実化・顕在化して目に見えているだけのことなのだ。たとえ平均より早く死ぬ可能性が高いからといって、その日が何百日先か、何千日先かはわからない。「これ」は、すでに通院先のD大学医学部附属病院に預けた身体で、提供するデータが、いつか人力かAIかわからないが、人類の叡智によって編み上げられて、免疫系の病気の治療に役立つかもしれないし、あるいは、まったく役立たないかもしれない。

 ともかく、そういう、わりと社会のへりというかふちのところに立っている人間であるので、社会保障の深度をすぐさま考え直すべきであるという言説とか、例の障害者施設への襲撃事件の動機などを見聞きするにつけ、パイの縮んでいく社会を覆う新自由主義のあらかたとじつにじつに折り合いの悪い自分であるのうと思う。

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 とか書き乍ら、昨夜は青森産のすいかがやや小ぶりだったので、縦にさっくり2ツに割って、その半分をぺろりとたいらげましたとさ。