ぴょん記

こつこつ憶える

気象病かと人は云い

 

ドントクライ、ガール (ゼロコミックス)

ドントクライ、ガール (ゼロコミックス)

 

 

 変な汗を掻いている。横になっていて、空調の風が当たるとたちまち寒気をおぼえ、綿毛布を被る。すると、しばらくして、身体の内側から熱が湧いて出てくるようで、綿毛布を剥いで扇風機に当たる。体表が冷えてしばらくは快適なのだが、眠りに潜っていく途中で、今度は胸苦しさに捕まり、食道の焦がれるような、へんに苦いものを無理やり飲み下されたような感じで目が覚める。

 

 びんぼう、ということを考える。わたしは、例のNHKの報道番組に数分でてきた高校生のことは書かない。あまりに特定個人に負担が掛かりすぎる「バズり」かたで、本人の意向はともかく、これからマスコミに個人として表出して意見を述べようという層に対する萎縮効果が軽視できないからだ。ひとつだけ書いておくならば、もし、故意に貧困状態を強調する意図があれば、私室にある「ぜいたく品」はテレビカメラからは徹底して隠すであろうし、また、SNSなどネット上の痕跡も徹底的に消すだろう。やろうと思えば簡単にできたであろうに、そうした「工作」をおそらく一切しなかったのはなぜか、ということだ。

 そのうえで、貧困というよりは貧乏、貧乏というよりは、ひらがなの「びんぼう」のほうがよりわたしに近しいと述べたうえで、それになにかひりつくようなものを感じる理由をつらつらと。「びんぼう」は、対象の人格を軽く扱わせる。借金を返させるのに、あるいは、公的な扶助を行うために、財布に入っている銭の多寡を正確に把握する必要があるのですよ、と。他人の所持金や稼ぎについて知ろうとするのは本来ならば厳に慎まれるべき行為であるはずにもかかわらず。それから、本人や、同じ世帯の娘や孫に、苦界に沈めて手っ取り早く銭にかえられそうな玉はいないかとしげしげと値踏みするようなアクチュアルな視線。この先はさすがに省くけれども、うっかり油断してそういう種類の無遠慮を働かぬよう、「びんぼう」は、自分が陥らぬように気をつける/嵌まったとしたらなんとか抜け出すだけでなく、よそでぴかぴか光っているときにも気安く嘴を容れないように強く戒めていなければならないものだとおもいます。