ぴょん記

こつこつ憶える

切なくなる程度の「格差」

 『受験のシンデレラ』という和田秀樹原作のテレビドラマが28日に最終回を迎えた。ラスト近く、脳のどこかに深刻な腫瘍を抱えて入院中の塾講師のもとに、彼が勉強の面倒をみている高校の定時制課程に通う生徒の母親が見舞いにやってくる。そのときの見舞いの品が酒のつまみのいわゆるかわきものというやつで、のちにその品は塾講師とかつての仲間たちとの別れの宴で大いに役に立つのだが、受け取った瞬間の塾講師の表情は実に微妙なものだった。

 生徒の母親は、勉強のみならず生活全般にわたって娘のバックアップを無償で行ってくれている塾講師に、感謝の気持ちを伝えたいと思い、手ぶらでいくよりはずっとよいと思って商売物のかわきものを持参したのだろう。酒のつまみにするくらいだから、それらのかわきものは、塩分も高めで、病人の身体にあまりよさそうな感じはしない。とはいえ、母親には一切悪気はない。この酒のつまみのかわきものを病気見舞いに手渡すことで自分の塾講師に対する厚意はほぼ通じるだろうし、その気持ちが拒絶、否定されることはまずないと、過去、何百回も似たような局面で失敗してきたであろうにもかかわらず、堅く信じている。その根にあるのは、自分の思いが不幸にも伝わらないのは相手に落ち度があるから/自分はけっして悪くない、という思い込みである。ちなみに、なんと悲しいかな、実は、わたしもこの類型に属する。

 

 この塾講師は、すごく難しい大学に過去に何百人もの生徒を送り込んできた凄腕の教え手であると同時に優秀な経営者であったので、おつきあいのある企業や、とりわけ生徒の親御さんからの差入れをたくさん受け取ってきたことだろう。個別指導を頻繁に行うような大学進学予備校は授業料も高額であり、生徒の親御さんからの差入れのなかにも心づくしということばだけでは説明できないほど奢ったものが「ある」。それだけに、入院中の自分に酒のつまみをもってくるような保護者を目の当たりにして、かれは、かつての自分の顧客たちとの違いをどう感じたものだろうか。

 正直なところ、前職で、ひとつが何百円もするという、ベルギーのチョコレートが縦かけ横でいったい幾つ詰められているんだという箱を目の前で開けられ、お好きなだけどうぞといわれたときには、この会社もこのお菓子をくださったおうちの方もなにも悪いことはないけど、わたしはここに長くいてはいけないなと感じたものだった。わたしは、ゴディバのきれいな粒には釣り合わない。そしてまた、チーズ鱈を病人の見舞いにもってくる感覚とも馴染まない。

 

 さて、ドラマの話に戻る。見舞いのレジ袋の中身を一瞥した塾講師を演じる小泉孝太郎の顔に浮かんだ表情が示すものは、驚きと、それからその生徒の母親との埋められないギャップへの諦めに思えた。惜しむらくは、その母親役の富田靖子の聡明な眼差し。彼女の才能と演技力をもってしてもなお、この母親は、なお十分に知的であり、作中ではいつも「やらかしてしまう困った人」なのに、どうしても女優本人の持ち味である透徹した理性が顕れていた。にもかかわらず、やはり、富田靖子はすばらしいと感じられた。

 

 

受験のシンデレラ (小学館文庫)

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