ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

ヤマシタトモコ『花井沢町公民館便り』

 ある日の早朝、東京都心から小一時間も離れていないその町の一角が、透明な壁で囲まれる。その壁は、けっして壊れず、生命のあるものを通さない。壁の内側にいる人々は、外側から配給を受けて日々の生活を賄い、喜んだり悲しんだりこどもを産み育てたり病気になったりして、死ぬ。死ねば、台車に乗せられた遺体は、壁の外へ引かれていく。いくつかのエピソードが意図的に時系列を崩して並べられている。事故の発生から百年か二百年が経過して、とうとう最後のひとりになった女は、というのが最終巻である第3巻の〆の部分。

 

 

 ここ数年、ヤマシタトモコは、境界や敷居といった、際(きわ)における人間の振る舞いや思いに着目しているように思える。たとえば、『運命の女の子』所収の「不呪姫と檻の塔(のろわれずひめとおりのとう)」では、誰もが生まれたときに国家から与えられる「呪い」がきちんとかからずに周囲から疎外される少女がいて、彼女を愛する同級生のわりと平凡な感じの少年がどでかいことをしでかしてしまうというお話が短編の中でテンポよく語られていく。皆と同じような「呪い」をもたないという、いわばひとりだけ仕切り線の向こうにぽつんと置かれた少女の腕を少年が引っ張って、こちらもあちらもない世界へと誘導していくという、まるで未来少年コナンのような絵面。これが、『花井沢町公民館便り』では、設定として設けられた透明な壁はなかなかに強固で、それを取り払って「最後のひとり」になった女を救い出そうとする男は、もはやいない。第2巻で示された自分の出生にまつわる忌まわしい何かを知ってなお、この「最後のひとり」は、見かけ上は実に飄々としている。これは、原始のころ、少々のことではへこたれず(だって立ち止まったらそこで死ぬから。)、野山を巡って食べものを採取して歩いていた大昔の女を彷彿とさせる。なんといっても彼女には、他愛ないことを言い散らす朋輩すらいない(外の世界に恋人はいるが。)。彼女のプライバシーはほぼないが、誰にも触れられないという自由はある。

 

  17歳の少女と38歳の男性の魂が入れ替わって2年後、でもことは肉体の交換だけでは済まなくて、精神の混淆に及び……、という問題作。雑誌連載は、次号で終了するらしい。