ぴょん記

こつこつ憶える

ブログのゆくえ

 つらつらとブログというものについて考えていた。

 

『なるべく毎日エントリを上げはするが、目立たぬようにこころがける。』というのが、10年以上前からのわたしのブログについての基本的な考え方だった。それには、いくつか理由はあるけれども、なんといっても、2005年当時、ブログと実生活が即座にリンクされがちな環境下にあったので、控えめに振る舞い、しかし、消えずに続けるのが適当だと判断したことが大きかった。それは現在に至ってもあまり変わらない。

 ある種の人々にとっては、個人のブログにおいては、なるべく多くのPVを集め、はてなスターと(好意的な)はてなブックマークを得ることが重要であるとされる。近年は、これに、「より多く儲ける」が加わり、そうなるとどのようなコンテンツをブログ内に揃えるかが集客の要となるから、それまで少なくとも形式的には平等だったブログの世界が、俄然、生存競争の様相を呈するようになった。

 ただし、そうなると、純粋に表現の自由の対象として扱われうるものと、お商売のためにあえて炎上も辞さずと際のところを攻めてこられたものとを同列に論じるられるかという問題が出てくる。後者の書き手は、もしかしたら、お金なんて二の次なんだわたしは自分の考えを広く世に問いたいだけでブログだけではそれはまだ足りないんだ、と言うかもしれない。そしてそれは真実に近いこともあるし、そうでないこともあるだろう。

 とはいえ、はてなのトップページでしばしばみかけるホットエントリのいかにも煽動の色の強いタイトルにわたしの頭のなかの胃袋はすっかりくたびれてしまった。タイトルだけでも脂が濃すぎて、エントリの中身を消化しきれない。ましてや吸収するだなんて、むり。たとえば、個別の顔や名前や素性を知らないとしても、確かに存在するたくさんの誰かの心を無用に引っ掻き、ときには悲しませてまで、それでもどうしても伝えなければならないという高尚な主張とも思えないのに、よい年をした大人が「それ」をする。インターネット以前には、いったいこれをなんと呼んでいたことだろう。

 その報奨が、ネット広告のクリック数に応じて得られる歩合でも、いずれ金に繋がる知名度の上昇でも、それが生きていくために必要な経済行為であるというなら、金儲けということだけを理由として別の手段で日々の糧を得ている第三者が書き手を気安く叩くのはけっして見た目のよいものではない。さはさりながら、その種のブログの内容は、一般的な非営利ブロガーの言説とは、区別して読んだほうがよろしいものだとは考える。