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ぴょん記

まじめにはたらく

夏目漱石『道草』

 

図書カード:道草

 月曜の早朝、青空文庫で、漱石の『道草』を読み始めた。虚実皮膜の立場から、先日、NHK-Gで連続4回で放送された「夏目漱石の妻」第3回の中身と対比しながら読み進めていく。小説の中で、はっきりと大学や高等学校で教職に就いていると述べられているわけではないが、この主人公「健三」は、作者の紛れもない分身であり、本家の三兄、嫁に行った16歳上の姉、その夫、もちろん、「健三」の妻、「御住」も実在の人物がそのままモデルとされているのだろう。

 ドラマでは、怪優竹中直人演ずる、もとの養い親、塩原昌之助が「猫」で少々有名になってやや裕福になった漱石の家を訪ねる。そして以前の情誼とある念書を引き合いに出して金を強請る。漱石も妻も、相手が怪しいのが半分その望みを満たせなくて苦しいのが半分で非常に困惑する。小説『道草』でも同様で、「健三」は、いつも金に困っている。もし、人間でなく、金を中心にこの小説を読めば、血縁や養親子の間柄など、目の前の比較的僅かな金の前にたちまち吹き飛ぶような軽いものに思えてくる。

 「健三」たちを煩わせるのは、食べるものがなくて死ぬとか、いずれ近いうちにそうなるのが目に見えているので娘を苦界に沈めるとか、そうした貧しさではない。「健三」も漱石も、国費留学を終えて帰朝した知識人だ。だから、その貧しさとは、学校の同僚や学生の出入りが多くて賄いに金がかかり、新しい着物を拵える余裕がないとか、投資に失敗した妻の実家の父親に新規まき直しに必要なだけの金を出して遣る余裕がないとか、そういう中産階級の手元不如意である。それでも、金の不足を情の薄さに絡めて責められるたびに、漱石も健三もまるで身をぎりぎり絞り上げられるような苦痛を覚える。

 ドラマの中にあった、「(もし余分に10万円あったなら)遊んで暮らす!」というフレーズがとても気に入った。一生とはいわずせめて気が済むまで遊んで暮らせる銭高、現代ならいったいお幾らだろうか。

 

道草 (新潮文庫)

道草 (新潮文庫)