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ぴょん記

こつこつ憶える

濃密な感情

 何年か前に誰かしらない人のブログを眺めていて、おやと思ったことには、それは十数人かが集まったオフ会のレポートだったのだが、某さんはこう云ったそれに対して別の某さんはこう応じた、という軽いリークに続けて、かなり手ひどい人物評が続いていた。わたしは、そのブログのエントリの書き手も、また、そのエントリに出てくる人も一人も識らないけれど、とても仲のよい間柄でそういう罵倒芸を用いることを了解し合ったともだちという感じでもなし、一回限り、集まって酒食をともにして以後没交渉なら、ネット上で特定可能な誰かを貶すのも可なり、という「文化」が醸成されつつあるならそれは恐るべきことだなと感じた。それはその後、一対一のオンライン遭遇、ネットを契機にした異性交遊にも広がり、はじめは不特定多数の目に触れることを予定して交わされたわけではない私信、とくにツイッターのダイレクトメッセージなどが、次々とわたしたちネット上で瞳を見開いている有象無象の前に晒されるようになった。

 わたしは、オンラインでもオフラインでも知り得た他人の情報は漏らさない。たとえば、警察の捜査などで協力を求められ、しかも、必要性・緊急性・相当性が認められると自分が判断した場合は話は別だが、通常時は黙っている。だから、ネットの内外で、自分にとって不都合なことをされても、大概は黙ってやりすごす。この人はこれこれのことをわたしにしました、または、しませんでした、とブログのエントリに書いて多少の憂さを晴らすことはできようが、そのためには、「これこれのこと」にたどり着くまでの、相手と自分、それから関係のある幾人かについて、大なり小なり説明を加えなければならない。それは、わたしが自分についてされたくないことを他人にすることにほかならない。

 人は、他人の動静を第三者に語ることがある。学校や会社、地域や親戚に属している限り、ある人が誰からもまったく語られずに過ごすことは難しい。だから、わたしも、ある程度までは、話題の対象、噂話の種にされることは受忍しよう。でも、自分の負担分を大きく超えて、新しい噂話を仕入れる種銭のように自分の内緒のことが差し出されたのを知ったならば、わたしはおおきく落胆する。『それはよそに話さなくていいことだったのですよ。』と、相手をやんわり咎めたことすらある。しかし、残念なことに、同じことが繰り返されて、相手とは疎遠になった。ともかく、わたしは、自分の余計なことを人に知られたくないので、公にしても何の足しにもならない他人の行動もネットに流すことはしない。ゆえに、それ抜きで成立しない、「これこれのこと云々」の糾弾も、いまのところ行わない。一文の得にもならんし。

 なにが云いたかったかというと、公開糾問を行わないからといって、別段、わたしが高潔な魂の持ち主であるというわけではないということ。それから、平安の貴族が、恋の相手に心葉を添えて書き綴るふみとうたは、一次的にはたしかに相手その人だけに向けて述べられる自らの真情であったことには間違いないが、よまれて返りごとが発せられたのちは、親の名、家の流れすべてタグ付けられて、千年ののちまで世にひろく何万回も何十万回も反芻されるものであると、連中、きっとわかってたと思う。電子の海のふみがらも、同じ読むなら、もっともっと練られた濃密な愛憎の渦の水泡に束の間なりと浸りたい、と勝手なことを考えた。

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