ぴょん記

こつこつ憶える

他人の話がすきなわけ

 夜半に目覚め、布団の中でつらつらと、なぜにわたしは自分の話をされるのが厭な癖に、自ら明かす他人の身の上話をネットで読むことが好物なのかを考えた。ためしに、と、4歳のときに父がわたしに買い与えた子ども向けの文学全集のうちの3冊は、イタリア/スペイン、フランス、そして日本の各1冊で、それぞれに所収の短編中編のうち、『黒い海賊』『モンゴルフィエの気球』『鉢の木』がことに印象に残った。近所に遊び相手といえば、小学校6年の男の子ふたりしかおらず、いまにして思えば、彼らは実に上手にわたしのお守りをしてくれていたわけだけど、平日の朝から昼下がりまでは小学校に出るわけで、退屈したわたしは、3冊の重い本と辞典、祖父と父と母が読んでしまった新聞紙を相手にこれはいったいどんなお話だろうと考えていた。それすら飽いてしまったら、用水路の脇の道を歩いて、曾祖母の家に行って、袋物や紐を縫うのを手伝った。ばあさまは裁つこと縫うことは達者でも針の頭に糸を通すには目がうすくなっていたので、わたしがまとめて糸通しをしていた。そういったなんとなく閉じた場所で大きくなったところに、自分が「こどもらしくない」とその後何百回も面罵されるはめになった理由があるのだろうと思う。

 しばらくして、はじめて集団生活に加わった6歳のわたしには、こどもの擬態はとても難しかった。だから、こどもらしくふるまおうとする無駄な抵抗は早々にやめた。幼稚園では、叩かれても叩き返しはしなかった。たとえ、先に叩かれたとしても後からわたしが叩き返せばそれはただの喧嘩になる。なぜならば、わたしはたいていの他の園児よりも頭ひとつ分、背が高かったし、その分、殴る力も強そうにみえていたから。実際にはいろんな場面で手加減をして出力を絞っていたのだが。さりながら、いきなり振るわれる暴力、背が高いから暴れれば破壊力も大きそうという偏見、そして、この子は極端に笑顔が少ないという教諭のコメント。わたしがいますこしこどもらしければ、いや、せめてこどもらしくあろうと心掛ける努力の片鱗でも垣間見えていれば、その教諭は、少しはわたしの味方をしてくれただろうか。そのころ、わたしの念頭にあったのは、かりに自分が10歳を超えたころならば、こどもらしさを要求される頻度も少なくなるのかしらといったことで、そうなるとそとづらはさておき、その内面がこどもらしいのかこどもらしくないのだかはわからなくなる。

 もしもわたしがわたしでなければ、こどもらしく、少女らしく、娘らしく、若妻らしく、母親らしく、そのときどきに求められる有り様に自分を添わせる技量を磨き上げる生き方もきっと選べたのだろうが、わたしはわたしなのでそういうのは選ばなかった。さて、話は少し戻るが、叩かれて叩き返さなかったように、その後、わたしは、自分のことを聞かれても相手のことを聞き返さなくなった。必ずしも相手について関心がないわけではない。しかし、年頃の男の子や女の子は兎角秘密を持ちたがる。そして、それはときどき漏れては本人や関係者を困惑させる。そんな厄介なもの、分けてもらわなくてもいい。あなたが誰に恋をしているかなんて聞かなくていい。本や新聞の中のものがたりとちがって、目の前の同級生の打ち明け話はときどきとんでもない危険をはらんでいて、軽軽に傾聴できるものではなかった。そのとき耳を塞いでいたから、だから、いま、ネットの上の身の上話を好んで読んで、いわゆる「釣り」にはげんなりするのかしらと思って、しらじらと闇が薄らぐころ、また眠ってしまったことであるよ。

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(手帳は4月始まりだけど、カバーとカバーオンカバーを新調した。)