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ぴょん記

まじめにはたらく

いろんな寝床で子らはまどろむ

男女雇用機会均等法施行のはるか以前、四年制大学卒で専業主婦、しかも子育て一段落された奥さんがたのある部分は、確実に、市民運動や、生協活動に熱心に取り組んでらしたと思います。」

 と、これも相当の過去、ある授業で発言したことがある。仕事で担当した生徒さんのお父さんお母さん、みなさん偏差値の高い学校をお出になったかたが多くていらして、そして職場結婚もかなりの率に上がるのに、いや、むしろ、当時としては「だから」か、お母さんの殆どは、結婚や出産とともにその企業を退職されていた。お年のころといえば、お父さんが団塊の世代の下のほう、お母さんはそれよりも3歳くらい下、というくらい。面談の前後や送り迎えのときの短い立ち話だけでも、2、3年単位の長いおつきあいの間には、そういう「ちいさなデータ塊」が溜まっていく。

 お母さんがたの年代からみるに、まさに男女雇用機会均等法施行前夜に学窓を離れ、社会に旅立っていった人たちである。ご自身の大学入試や就職試験において、綿密に計画を立ててよい結果を出していった彼女たちが、ご自分のお子さんの中学受験を前にして、それはもう周到に準備をされる。優秀な女性が社会で働くために差し出す時間と精力を子どもが勉強するための環境作りに振り向けるのだ。わたしは、当時、学校を出たてだったが、不思議とそれがもったいないことだとは思えなかった。

 その思いは、現在でも消えない。人の暮らしぶりの、生計の立てかたからなにから、そういうのは、かなりの幅で自由にするのを認められるべきであると、いまも信じている。つらいことやうまくいかないことがあっても、どうにかこうにか按配していけば、そのうちいい日和が巡ってくることもある。ヒトナミばかりを気に掛けて自分を小さくまとめてみてもいいことはあまりないという気がする。

 ところで、優秀な学生であり、きちんとした勤め人であったが、家庭に「入って」こんどはお子さんの養育に心を砕いたこのような自分よりやや上の世代の「お母さんがた」の軌跡を、わたしがそのまま追うことこそなかったが、しなやかにつよく、そのときどきの課題に立ち向かっていった彼女たちのことは、ずっと大切に覚えていようと思う。

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(このいかにも穏便にみえるミニサラダの下の方はコールスローの藪だった。小さなフォークでは拾いにくい、だが、おいしかった。)