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ぴょん記

まじめにはたらく

苦い思い出

 折に触れて、「当てが外れた」と思うことがある。たとえば、幾ばくかの慰めがほしいとき、それを期待した相手からなんの挨拶もない、しばらく待ってもなにもない。慰謝を望むからには、自分にはその相手との間になんらかの温かい交情を紡いできたという記憶があるのだ。それなのに弱っているこちらになんのことばもないのには理由はいくつも考えられるが、相手が無沙汰を昰と判断したことは確かで、そういう相手に優しさを望んだ自分の甘さを悔やむことこそあれ、相手そのものを貶すものではない。

 しばしば、「その人は本当にあなたを大切に思っているのかしら」と云われることもある。わたしがその人を大事にすることこそに意味があるのであって、その人がわたしをどう思おうが、本来第三者である話者には関わりのないことである。それはそうなんだけど、傍からみて、いかにも冷淡に扱われている相手にしがみつくようにしてつきあいを保たせようとしている自分というものがいるのかな、それはかなり見苦しいものだろうなと思い返して、その人とのつきあいを一歩引いてみたら、いつのまにか交際が絶えていたりするので、さきの話者の見立てに狂いはなかったのだなと思ったり。

 わたしがあなたを思うようにあなたもわたしを思ってください、とは、こころに浮かべることだになかなかに難しいものになった。