ぴょん記

こつこつ憶える

雑煮の終焉

 ふたりで、大晦日の夜から6日の夕めしまで、延々雑煮を食べ続けた。最初は年越しの蕎麦と天麩羅が入り、次から焼いた餅と三ツ葉、三ツ葉、あるいは刻み葱などが添えられ、最後は実も僅かになってしまったが、直径28センチのアルミ鍋でほぼ2杯分、大根にして2本、鶏肉だけで1200gは入っていたのだ。2回目はなぜか蓮根も加えられ、それはそれで趣深かった。その汁が、7日の朝からは、なかった。つねに温め直せば好きなだけ掬えたはずの汁物の不在。今朝などは、明け方の冷え込みと風の強さに怯え、なぜかミルク風味のシーフードヌードルなどを啜ってしまった。雑煮のすばらしいところは、二日三日では飽きのこないところにある。これがもしニューイングランド風クラムチャウダーであるならば、わたしはこの浅蜊の汁はけっこう好きなほうだが、それでも朝昼晩の丸一日が限度である。茶色いほうのマンハッタンのならば、昼と晩だけ。たしかに、うちの雑煮は中身の殆どが繊維質の多い根菜なので、時間を追うごとに煮込まれ、消化がよくなるという側面がある。ただそれだけではなく、汁が塩気のついた清ましで、クラムチャウダーほど汁そのものの消化吸収に体力を要しないところが、この「飽き」と多めに関係しているのではないかとも思う。