ぴょん記

こつこつ憶える

弊履

 ひとはひとたび自分に冷たくあたった人に、親切にされたいものかしらと思う。しばしばわたしはこのようなことをあたまの中で転がすのだが、つい先日、ツイッターリツイートで流れていたものの中に似たような思考が混ざっていた。わたしの考える場面よりは、ややゲゼルシャフトの内側っぽさというか、役割分担のある間柄でのことらしいけど、要は、その相手のこころのそばに、自分のたましいを添えてみて心地よいかどうかという話だと思う。なお、「こころ」「たましい」については、世にもっと適当適切な言い回しがあることだろうが、いずれも身の内側の質量をもたないものを指しているつもり。ところで、このごろは、自分のいないところでよいことわるいことを話してしまう人も相変わらず困ったものであるが、それよりもなによりも、なにもいわずに恨んで見捨てて軽蔑して、だけど物理的には従前と変わらず近くに在るというのはおそろしいとも感じる。