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ぴょん記

こつこつ憶える

帰りは雨降り

 いまにも雨粒の落ちてきそうな空のした、やっときたバスに乗って上野側へ下る。電車もバスも、目の前にきた函に乗る、または、止まっている函めがけて自分の身体を押し込むものだ。軌道があるかないかだけなのに、バスは電車に比べてとても頼りなく感じられる。来週?そうだな、これたらくるよ、といって玄関口で厚底の長靴(ながぐつではなくちょうかだ。)を履いて出て行く、じぶんのうちのほかにも立ち回り先と食事を用意して待っている女が何軒もいるねこのようなあてにならなさだ。もっとも、これはバス一般にわたしがおもうことで、病院のバスはだいたい定刻に来て、病人と付添人を満載して大きな駅へ向かう。

 『昭和元禄落語心中』で、八雲師匠が倒れてから前にもまして忙しくなった助六師匠が浅草から地下鉄に勢い込んで乗り込んでやっとの思いでついてきた「先生」と束の間ことばを交わし、そして上野あたりで降りていくシーンがある。ものがたりのラストシーン、この「先生」と主要登場人物の幾人かとの思いがけぬ関わりが明かされ、同時に読者そのものが一種の「信用できない語り手」に知らぬ間に仕立てられていたことが白日のもとに晒される。これからアニメで、あるいは原作の漫画本でそれを知るひとがうらやましい。

 髙島屋の寿司売場で、おいなり、ばってら、太巻きアラカルト。次の通院まで、またしばらくデパートには寄らない。上りの階段は、まあ平気。下りの階段は、後ろから勢いよくやってくる人に接触しないように、荷物を前のほうにかざして、手すりをたぐりながら注意深く歩を進める。