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ぴょん記

まじめにはたらく

ゴシップ好き

Werk

 先週のいつかの昼間、テレビでスコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』を放送していた。ウィノナ・ライダーの清純さと、ミッシェル・ファイファーの艶なる色香に翻弄される若い弁護士の話だ。彼の母親と妹はニューヨークの名家の人として、それなりの格式を維持した暮らしの中でひっそりと生きているのだが、実はとてもとてもゴシップ好きで、噂を吹聴する名士を夕食に招いては、自分たちは安全なエリアに立ったまま、「あら」「まあ」「いやだわ」「なんてことでしょう」「道徳に悖るわ」と柳眉を曇らせることを専らとする。

 おいしいワインで金棒引きの舌を滑らかにして人の噂を聞き出すことこそしないが(だって、現代には頼まれなくとも、喋りたい、知らせたい人や会社が溢れているから)、わたしも、ごく限られた狭い方面にむけてではあるが、いったんゴシップ脳が発動し、たぶん扁桃体のあたりが活発に蠢き出すとなかなか止まらないようにできている。その嗜好がどのくらい限定的かというと、親戚とか、同級生とか、職場周りとか、ふつうの芸能の人の、惚れた腫れたくっついた離れた、ぐらいじゃ駄目。先々週は、室町時代の後期に、ある摂家の家令であった半家の公卿があるじ父子に殺害されるという事件(1496年)を日本版ウィキペディアで読んであらあらあらと思った。摂家の財政危機に関わるトラブルからそのような事件に発展したようだが、要は家令でもありいとこでもある唐橋在数が、主人の九条家に銭を貸していて、その返済について揉めたというはなしらしい。その九条家の子のほうの15代当主尚経の次代が殖通で、この人が、大和和紀『イシュタルの娘』で、小野御通に諸々の教養を授けた「九条の御所さん」なのだろう。

 とはいえ、もちろん、現代を生きている人にもまったく興味が湧かないといわけでもない。