ぴょん記

こつこつ憶える

その原則はあなたには適用されない

 とはいうものの、仰々しいタイトルに見合うほどの深さのあるエントリを書く気はない。ネット上での厳しい意見交換というのは、パソコン通信の時期におおかた一生分遣りおおせていて、その後、なにか揉めそうな萌しがみとめられると、9割9分8厘ほどは自分から退くようにしている。天与の知的能力と体力は、生存を維持するために自転車操業中であるから、それ以外の紛争の解決に力を傾注することは難しい。それから、ネットは、大きく跳ねて弾けて愉しむところでこそないけれど、自分の頭と心の中身を整理する場所ではあるので、それなりの安寧と静謐を保ちたいという思いはある。

 その上で書く。わたしがネットであまり他のユーザーの個人的状況や、それに関連したエントリについて言及しない理由の第一は、自分についても同じことをされたくないから、ではない、ということを。それはあくまで副次的な理由で、上記諸々について書かないのは、わたしの指摘が当たっていても外れていても、自分も相手も気分を害するであろうことがその消極的動機の最たるものだ。たとえば、某さんや異性(同性も)一般と交際しようがしまいが、たいていは多かれ少なかれ悔悟の念を抱くものであろうし、所帯を構える、子を儲ける、親を看取る、勤めをやめる、身の回りのものを大幅に整理するなども、聞くだけ読むだけならまだしも成人して久しいいい年をした者のひとつの意見としてなにか言えまたは書けといわれるとやる気が失せる。つねに相手が安心するようなことを書いて喜ばれるのなら、きっとわたしもうれしい。でも、喜ばしておいてそのあとのケアや責任はわたしの手に余る。だから、相手が喜ばないこともひといろは混ぜる。そうすると相手は嬉しくない。わたしも厭な気分になる。ならば最初から書かなければよかったね、ということにもなろう。

 少し辛いことを書いておいて、「でもあなたはしっかりなさっておいでなので、これはただの老婆心からでたこと、杞憂にすぎませんね。」とフォローするのも見え透いた手口で、こういうのが処世術とか社交の技術とされる人生は、少なくともわたしの選んだものではない。