ぴょん記

こつこつ憶える

察知する能力の要否

 幾つか思ったことを: 

夫に求めるのは具体的行動ではなく怨嗟の行き所らしい

わたしのツイッターのTLに頻出する、るるてあさんの「肯定ペンギン」さんならば、「こども育ててえらい!」「仕事してきてえらい!」「いっぱい泣いてえらい!」って、親とこどものみんなを褒めてくれることだろう。

2017/09/11 15:38

  いまある幸せを削ったり、一挙に不幸になったりするために、わざわざ結婚や出産・育児をしようというカップルはおそらくあるまいから、その心と体の負担が永続的なものではなく、あとでともに振り返ってあのときは大変だったねと語り合えるものになればいいと思う。

 ブックマークコメントを読むと、女の「わたしの内心を察してほしい。」というやつはかなわん、というのが幾つかあった。わたしは女だけど、通常モードで「察して」で、なにごとかが出来したとき、「あのとき察してくれなかったから!」「察してくれなかったのは配慮が足りない」と突き上げられでもしたら、同性でも「かなわん」と感じる。だからといって、好き/嫌い、して/しないで、については、普段から明示的に態度を表しておいてくれるほうがずっとましかというと、それはそうでもない。言い切るのも、「察して」も、ほどほど。そういう感じで、このあたりの女の暮らしは長いこと回ってきたし、それはつまり、女とともに人生を送る男らも、女というのは、はっきりきっぱり一筋のものではなく、マージナルなゾーンに自ら身を置くことを求められて、また、とりあえずはそれをよしとすることに慣れていた。因習とも、慣習とも、なんとでも。その「協調性」の軛。

 片時も目を離せないあかんぼを抱えて、ぼろぼろになっている奥さんを前にして、彼女のしてほしいこと、彼女にしてあげたらいいこと、ぜんぶぜんぶ的確に察しなければいけないわけではないんです。たとえば、食料品や日用品、このごろはネットで注文しておうちまで届けてくれるけど、たまには事前にいっておいて、ふだんより少しいいお惣菜やお弁当、買って帰ると案外喜ばれるかも。

 そうそう、男女雇用機会均等法施行直後に就職した世代の、さらに次世代あたりのいまの若いお父さんお母さん、税金でできることは、こうしてほしいああしてほしい、どんどんネットでもなんでもいってください。「保育園落ちた」の増田記事は、その後のあれこれにも関係なく、たしかにあのとき、いろんなものを動かしたのですから。