ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

芋を焼く/120日と万の字

 無印良品の白い土鍋(中)いっぱいに根菜と鶏のシチューを拵えたのは、金曜の夕方。それが、深皿6杯できっかり空になった。ハウスのシチュールウの大箱の半分のルウに、牛乳を100mlか200ml加えてやっと土鍋(中)いっぱいなので、食べたければ、またすぐ作ればいいというだけのことだけれど。つぎは、雑穀や豆、キャベツの刻んだのも加えてみたい。それはもはやシチューとはいわないかもしれないけれど。紅はるか、紅あずまなどの芋、それから豆餅をロースターで焼いて出した。餅を焼くと、またいちだんと秋めいて感じられる。

 澁澤訳の『ソドムの百二十日』を読む。フランス革命前夜の大貴族たちの悖徳、頽廃の窮みを描写した作品だ。登場人物らを支配するのは「色と欲」であり、これは歌舞伎の筋書きで期待されるものと共通している。とはいえ、サド侯爵における「色」は、専ら直截な性の快楽に限られたものであり、その程度も誇張を通り越して無茶の域に達している。4人の「友達」が、悪行を重ねれば重ねるほど、『無理!』とたちまち判断停止に陥る癖(へき)のある、かつての女子中学生のように、頭のどこかの部位が固まってしまう。そして、これからその120日が始まる……!というところで、なぜか幕が引かれるのだけど、これは原作もそうなのかしら。

 谷崎潤一郎の『卍』。彼の手により綴られる、大正から昭和のはじめの阪神間のおなごのことばは、まるで、蠱毒戦間期の関西の有閑階級、それも令嬢や若夫人が鉄道やタクシー、俥を駆使して、身軽にあちこちで不身持ちな戯れに時を費やしている。『細雪』の末娘もよほどの「発展家」に思えたけれど、『卍』の「徳光光子」に比べれば、手に職つけて生きていこうと志すあたり、まじめだったとわかる。ところで、『細雪』の芦屋の家も二階建てだったけど、『卍』の香櫨園の屋敷も二階に夫婦の私室があって、一階でお客さんをもてなす造りになっている。モダニズムの一環として、そういう建築が流行したのか、それとも、従来の家造りの流れを受け継いだものなのか。はなしに出てくる人々の、幼げであったり、捌けすぎていたり、そういう目まぐるしさから少し距離をおくと、道具仕立ての細やかさにふと感心する。

 

卍・痴人の愛

卍・痴人の愛