ぴょん記

こつこつ憶える

とっても、こわい

 月曜、火曜と、家にある設備、道具を駆使して、長雨に立ち向かい、洗濯物を処理する機構として稼働していた汎用機Shimico。20年前のシャネルの60万円のブラウスがまさかの「洗濯されることを想定されていない衣類」であったことを知って、それはもはやブラウスというよりは鎖帷子ではないかと思う。ある意味、同じく勝負服ではあるからして。

 ところで、このごろ、現代作家さんの手になるホラーの中長編やエロテックな短編小説を数冊読んだ。

 

快楽の封筒 (集英社文庫)

快楽の封筒 (集英社文庫)

 

 わたしが、いまの半分くらいの年齢ならば、ふつうのおなごの慾望とはかくなるものなのかとためいきをつきつつ、読み耽ったであろうけれども、いやらしさというものを観念するのが難しくなったいまとなっては遅すぎる出会いであった。

 

 

狗神 (角川文庫)

狗神 (角川文庫)

 

 途中で、物語中もっとも破滅的な要素がほとんど明示されていた。また、わたしが目下贔屓にしている連載中の漫画作品では、出来のいい長男坊が「ヨル」の化身と捉えられている。夜、暗がり、闇を示すものにいだかれて安らぎたいという願いは、黄泉の国への旅立ちと背中合わせであるのか。

 

 

 『狗神』は高知県の山村を舞台にした小説であるが、『ぼっけえ、きょうてえ』は、表題作とともに収載された他の3編ともども、岡山県の山側の僻村や浜辺の村で起こった酸鼻を極める悲劇が語られる。貧しさや暴力、差別の槌が、弱く小さな者の上に容赦なく振り下ろされ、4作品とも、仄かな救いさえ与えられない。

 そういう出口のない惨めさが現実にこの世にあることぐらい、この年になればいくら何でも知っている。