ぴょん記

こつこつ憶える

『お嬢さん』『ハウスメイド』

 寒いので、連日、昼の日中から映画を観ながら、毛糸の帽子を編み続けた。選んで買った色なのに、3号輪針で350mばかり編むと、もとい、普通のいいかたでは、82gほども編むと、ぞんざいに扱いそうになる。きっと糸のほうでもわたしに飽きてくるころだろう。仕事が一段落したので、iMSでお隣の国の映画をレンタルしていたので、それを流しながら、字幕をみいみい、そろそろと針を進める。

 

お嬢さん (字幕版)

お嬢さん (字幕版)

  • Park Chan-Wook
  • ドラマ
  • ¥2000

 

 

  『お嬢さん』は、1939年の半島で、日本に帰化して日本人であった亡妻の姓を名乗り、その姉夫婦の忘れ形見を養育する実業家がいて、その家に忘れ形見である「お嬢さん」のお付きの女中として雇われた娘と、「お嬢さん」の脱出劇である。この実業家が、日本に帰化しただけではなく、日本文化、わけてもいわゆる黄表紙に造詣が深い。ああいうのは、薄暗いところで、ひとりないしふたりで密やかに愛好するものだと思っていたが、かれは、美しい女に音読させ、それを聞いて昂奮し、さらにともにそれを聞いた紳士たちに稀覯本を競り落とさせるところまでをひとつとして行う。身内に迷惑な変態趣味なのか、実利を求めるほうが大きいのか、なかなか分かりづらかった。

 すれているのに人のよい女中と、いろいろ絶望した挙げ句、投げやりになっているお嬢さんは、やがて、おじさんの宝物をめちゃくちゃにして屋敷を逃げ出すわけだけど、そこには手引きした偽伯爵も同じ舟に乗っていて、こいつがまた、悪い悪い……。

 『お嬢さん』でも、女が自分の身体も含めて大切に扱わないことは愚かしさの証左として軽蔑(と一抹の憐憫)の対象になる。お嬢さんに感情移入するあまり、自分の本来の務めを忘れそうになるかわいい女中に、当のお嬢さんは半ば本気で腹を立てる。『ハウスメイド』は、現代への翻案ものらしいけれど、家政婦、雇う側の夫妻、妻の母親、ひとり娘の感情はよくわかるのに、主人公のハウスメイドの気持ちが、肝心の、この雇用関係上、「おばさん」と呼ばれる、未だ瑞々しい肉体の持ち主の気持ちが、よくわからない。お掃除用ロボットが家の模造大理石の床をどんどんきれいにする時間に、臨月の妻をほっぽらかして、ワイングラス片手に夜這いを掛けてくる雇い主の夫のほうに、ふとかりそめに、欲望の赴くままに関係をゆるしてしまうところはまだよい。そのあと、涙金を渡されたり、身体のことでひどい扱いを受けたりしているうちに、彼女は急速に自分の中で怒りの果実を実らせていくわけだけど、はじめのうちはじつにふらふらゆらゆらして、それをみて、家政婦や妻、妻の母が、ばか、ばかという。

 『ハウスメイド』の冒頭の数分間、夜中の都会の隅で、重労働をこなす中年の女性たちが何人も出てくる。寒い中で水仕事をしたり、重い廃棄物を黙って運んだりする「おばさん」たち。お屋敷の奥さまが使用人に傅かれ、きれいにして、これから4人でも5人でも自然分娩で産む、と独特の富裕な家庭の匂いを漂わせている同じ国で、たくさんの「おばさん」たちが、市場で働き、また、お屋敷に仕える。

 ポシャギという布をはいで作る手工芸品がある。1ミリの中に幾つ針目があるのかわからない細やかさで繋げられた布は、よく晴れた日の中庭で軽やかに風に舞い上がる。あれをパッチワークの一種といってよいかどうか。そのポシャギは、少し前までは、家庭の主婦の当たり前の嗜みとされていたようだが、隠忍とか忍従とか、そういう家父長制で上から押しつけられただけの人には、ポシャギにしろキムチにしろ、おもしろいものは生み出せまい。なんというか、善良ではあるけれども、強かでなければ生き残れないのだ。

 では、ハウスメイドは、いったいどうすればよかったのか。家政婦は、「いい男をみつけるのよ。」と励ましていたが、それで解決するものだろうか。