ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

格差とこどもの幸せ

 北関東の産婦人科病院で平成としては異例の新生児「取り違え」事案が起こり、小学校入学前の男児ふたり、それぞれの生物学上の親のもとへと戻されるが、という話。都心のタワーマンションで裕福に暮らすサラリーマンとその妻、妻の実家の職住近接の電器店を営む夫婦、おそるおそる近づいていくふたつの家庭はうまく接して、こどもを受渡しして、またきれいに離れたかにみえたけれども、実は、親の心以上にこどもの気持ちがもうどうにも収まりのつかないぐらい、ぐわんぐわんに波打っていて。

 電器屋のリリー・フランキー真木よう子の家庭が、経済的にはかなり逼迫しているけれども、父親も母親もこどもにたくさん手間暇かける温かい家庭として描かれていた。福山雅治が仕事が忙しい上に、少年期の両親の離婚に端を発する(のかどうだか)屈託を抱えたまま、しっかりした社会人を演じざるを得なかった、本当は少し困ったおじさんで、尾野真千子は、そんな夫にいいたいことが山ほどあるけれども彼だって頑張っているんだからとぐっと自制しているしとやかな奥さんだ。

 福山は、当初、実の子と電器屋夫婦の子(これまで自分が育ててきた子)の両方を自分たちが育てるつもりでいた。自分のうちにはその経済的余裕があるし、まとまった礼金もほかに子がふたりと弱ってきたおじいさんひとりを抱えた電器屋に渡せるという。田中哲司演じる友人の敏腕弁護士ですら一瞬絶句するほどの冷徹な判断だ。これを聞いたとき、厭なことをいうなあと思いながら、同時に、頭の片隅で、そうだよなピアノ習わせて私立校に合格させるところまで教育された都会の坊ちゃんにとって、リリー・フランキーのうちで大きくなることは少なくとも最上の幸福とはいえないだろうと考えていた。こどもが育つにはお金がかかる。そのお金も、ある程度は、潤沢なほうがいい。これが女の子同士だったら、東京の夫の実家がもっといろいろ介入してくる、エスタブリッシュメントの一族だったら、その「差」はもっと明らかだったろう。

 ばかじゃないんですかいやうちをばかにしないでくださいよとリリー・フランキー真木よう子に面罵される側に、心情的にわたしは立ってしまっているようだ。

 ふらっと電器屋のある町に帰ってしまったわりと自由な子と、ミッションだからと唇をきつく引き絞ってがまんしていたおとなしい子。ふたつの家族は、それからどうしたのだろうか。

 

そして父になる

そして父になる