ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

大雪のまたの日

 このように霽れるとは。

 きのうの朝9時前から、窓の外は霙以上の何かで溢れていた。午前中から変則的な関東煮の用意をして、寒さに震える準備を怠りなく。その関東煮のどこがいつもと違うかというと、まず、野菜価格高騰のあおりを喰らうて、大根が少ない。常には1本まるごと使うところ、2分の1本を買ってしかも数センチは味噌汁の具にしてしまったがために、賞味1本の3分の1ぐらいしかない。それから、板蒟蒻を見つけられなかったので、糸蒟蒻。卵も煮始めてから随分経ったころにようやく参加。利尻昆布と三州味醂月桂冠キッコーマンの薄口醤油という、調味料は上等だけど、具の集まりがよくない、やる気のない草野球チームの練習のような作り方だった。

 それは、ひとえにわたしのあたまの中が風邪を引いてしかも筋肉痛に苦しんでいるから。いろいろあって、重いブローを受けた数秒後のように、怏々として愉しまないばちあたりぶりで。

 関東煮もできたし、ごはんもじきに炊けるし、きょうはもうこれで勘弁してくれいと、家の隅の小暗いところに転がっていたら、勤めに出ていた家族がいつもより早めに帰宅。はじめは5センチといわれていた東京23区の積雪深が降り始めが早かったこともあってしゃれにならない嵩に達し、4年前の平成26年2月の例もあるので、急いで退勤してきたのだという。

 

  今回、ひとつのエピソードを1冊まるまるに引き延ばしていて、それはそれで読み応えがあった。わたしは、あえて分類すると免疫系の疾患らしいのだけど、それが医薬の進歩でとりあえず症状を抑えていられるのも、一種の設計や修復といえるのではなかろうか。HAのイルカ5のひとり、キイが、人間の所業のあれやこれやに惘れつつ退場していく姿に、しんみりした。