ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

春や、みやこは

  お仕えしているにょおうさまの物詣でにお供するので衣装を調えているが、手持ちのものではいだしぎぬとしてみたときの様子が気に入らないのでなんとかしてほしいと、はらからが文でいってきた。このおんなはらからは、みやこが寧楽にあったころ、諸兄のおとどのおやしきに一緒にお仕えした者である。おとどのおやしきを去ってのちは、同じあるじをもったことはなく、ただ折に触れて文を交わし合ったり、ちょっとしたものを遣り取りしたりするくらいのつきあいである。おそらく向こうのほうが三つ四つ年上であろうから、ふだんは意識しないけれど、ここでは、「あね」と呼んでおく。さて、あねのところのにょおうさまは、うちにながくお仕えして典侍にまでお務めになった、けっこうよいお年のかた。その方が女房たちを引き連れての物詣で、いだしぎぬで華やかさを示し、みやこびとの耳目を集めたとしても、そのさきはないだろうと失礼にもわたしは思うのだが、ことはそう単純ではないらしい。にょおうさまは、后腹のみこの鍾愛の姫として育ち、ときのみかどの後宮に妃としてときめくべく、うちにお入りになった。お顔立ちも容姿もなみはずれて美しく、いずれのみかどもいちどはこれはと心を振るわされたらしい。しかし、にょおうさまは、お妃にはならなかった。そのかわり、うちの奥向きの実務を取り仕切る女官人としてお取立てにあずかり、幾星霜、その御麗姿を貴顕らの目に曝してこられた。水無瀬の内侍の取り仕切るところ、あやまちなしと敬され、また、ひそかに恐れられてもきた。そのにょおうさまが、にわかに病を得たのがこぞの暮れ。一時はかなり危ういところまでいったとのことだけれど、ようやく持ち直して春を迎えられた。数年前にはすでにうちを去られていたが、後世を願うための物詣でをこのたび思い立ったのは、ことしの桃園の宴が果ててのちのことだった。
 病み上がりを押してのにょおうさまの外出は、そのももぞのの中納言の姫がうちに上がるのに花を添えるお心づもりであろうとあねなる人はいう。ももぞののの中納言は、にょおうさまの臣籍に下った劣り腹の庶弟。背の君も子ももたないにょおうさまは、その弟御の御娘にあたる姫たちを大切になさっていた。その中の姫が五節に上がったのをきっかけにしてみかどの御目に留まり、更衣として入内するはこびとなったのだが、その前に、伯母ぎみである水無瀬の前典侍とともに物詣でをするという。このようなわけだから、老女官とその側仕えたちらしい落ち着いた伴揃えではなく、派手ではないけれどもどこかゆかしい品格を漂わせた行粧で、とのにょおうさまの仰せらしい。そのための賜り物も通常の給与のほかにあったようで、げんにあねなる人は依頼の文にずっしりとした砂金の包みを添えてきた。まあ、どうしたらいいのだろう。若葉のころまでには、あねのもとに、いだしぎぬにしても恥ずかしくない衣を届けねばならないわけだけど、はて、いかに。

 

 

続日本後紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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