ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

入れ墨と一般社会

 何度か宿泊したホテルチェーンの幾つかのホテルには、客室のお風呂とは別に、男女別の宿泊者専用の大浴場がある。そして、実験的に、入れ墨のある宿泊者でも、8センチ×10.5センチのシール2枚でカバーできるようならば、それを皮膚の入れ墨のある部位に貼って、大浴場を使えるようにしているという。

 さて、昨日、トゥギャッターにて、根岸かどこかの屋外プールにて、背と肩、上腕部を覆う入れ墨のある男性が、プールの運営側から着用を推奨されているという肌を隠す水着なしに、プールサイドに立つ画像が紹介された。

 あくまで、現時点において、ではあるが、これはよろしくない。入れ墨の文化的背景や、わが国における入れ墨の示す意味など、論じることは自由であるが、プールの運営側が水着によって入れ墨を隠すことを推奨しているのであるから、そこであえてがまんをいれた肌を曝すのは、ルール違反だ。他の利用客は、同じプールに入る人が、たとえ肌に墨を入れていても、それを水着で隠して見えないようにして、プールを利用すると信じて、利用料金を払ってそのプールを利用するからだ。そして、入れ墨のある利用者に背や肩を含む部分を覆う水着の着用を推奨するプールの規定に合理性は認められるだろう。

 肌に墨を入れるのは、たいそう痛いという。西洋式のはわからないが、何十日も彫り師のもとに通って時間をかけて仕上げていく和彫りは、金もかかるし、しばしば発熱するものらしい。それを江戸の町人が、あえてわが身に施したのは、火消しにせよ商人にせよ、なにか胸に期するところがあって、内に意気地を示すためにこそ、それをしたのだろう。けっして、派手な身の飾りでもって、他の素人衆を威圧するためではない。

 やくざ者のたぐいはいざしらず。

 では、現代のプールの話に戻る。他人の好みなど、正直なところ、たいていどうでもいいと思って暮らしているけれど、では、もし、自分がこのプールの運営会社のコンプライアンス担当者だったら、また、このプールが公営のものであったら、などと考えてみると、それはもはやどうでもいい他人の好みの問題にとどまらない。それはもう、メシノタネに関わる事柄である。

 

ひらひら 国芳一門浮世譚

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