ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

ぼくら先の時代は知らずに

 空海は、あれもこれも達者で、いろんな伝説のもととなったお大師さまではあるけれど、当然のことながら、御代のみかどであった桓武天皇の流れを汲む平清盛の存在も、その末裔の行く末を描いた『平家物語』を知ることも読むこともまた聴くこともなかった。凡人ながら、空海や清盛のずっとあとの時代に生きるわたしたちは、空海の出てくる映画を観たり、『平家物語』を電子書籍で寝しなに読んだりもできる。

 山本直樹連合赤軍事件を描いた「レッド」のシリーズが完結した。『レッド』の第1巻から第5巻までは読んでいないなあと思いながら、シリーズ最終巻のあさま山荘事件を描いたのを昨晩読んだ。

 

  山岳アジトにおける内ゲバで多数の死者を出したあと、「彼ら」は、山中に散らばる。そのうち数名は、企業が所有するある保養所へ侵入し、管理人の奥さんのほうを人質にして立て籠もる。厳寒期ではあるが、スケートをするために保養所の利用者がいたため、食糧はそこそこ備蓄された状態だった。人質の夫人を傷つけずに救出することはもとより、殉教者を出したくないという思いから、なるべくならゲリラたちも生きたまま確保しようと警察庁、警視庁及び長野県警は十日間の神経戦に突入する。

 これらに先立つ数年前、市街地において学生らを中心とするデモ隊と、それを抑えようとする機動隊とが衝突した際、学生たちのほうから機動隊の隊員らに向けて、口汚い罵声が飛ばされたことがあったそうだ。それに応じる機動隊員らも若く、挑発に対しては言葉以上の応対もあったようで、敷石や角材に釘を打って針金を巻いたゲバ棒、ときには火炎瓶、これらに対して催涙弾にジェラルミン楯と警棒で、ずいぶんひどいことになっていたようだけど、その多くはわたしが生まれる前のこと。

 人を傷つけたり殺したりするよりは、傷つけず殺さないほうがよほどいい。それでもなおと正当化される傷害や殺人は、きわめて例外的なものに限局されるべきだろう。それを踏まえて、わたしたちの前の世代やその前の世代は、どうして暴力に訴えてでもなにかを変えようとしたのか、そのポイントは現代史を学ぶ上で外してはいけない。

 あさま山荘事件は1972年2月、その年の秋口に、ミュンヘンでオリンピック選手村のイスラエル選手団の団員らが殺害されたのだった。

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きのうのお昼はりんごを食べた