ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

ひとのいのちのをしくもあるかな

 なんですか、このごろはブログを書いているとお金が稼げる仕組みが確立されて、ぶろぐめし、とかいうの、あれ、ブログで紹介されたレシピ通りにお料理したのを並べてお食事するという意味ではないのですね。そういうのもあってもよいと思いますし、そういうブログを運営しているひとを否定したりもしません。その代わり、相互に経済的利益を得るわけでもないし、その他の現世利益もありゃしない、他生どころか次の頁に飛ぶ前に中身をきれいに忘れてしまう、たとえばこんなブログの生き残る場所も空けておいてくださいなぁと思います。とはいえ、さんざん人口に膾炙したブログ論をここで展開するつもりなど毛すじほどもなく、ここでは、ブロガーは読み手に対してなるべく真摯かつ誠実であったほうがよいという幾人かのお嬢さんに同意しますと媼なりに述べるにとどめます。

 きのうの午前中は冬の間にベッドサイドに積み上げておいたNHK語学講座のテキストやまんが雑誌のたぐいがそろそろ通行の邪魔になってきたので麻紐で括って共用通路に出す作業をした。作業そのものは対象物をなるべく水平に重ねていい加減に切った紐を十字に掛けてひっくり返してまた結ぶという簡単な作業なのだが、わたしの小脳が記憶しているおのれの腕と指先の筋力と、病気になってからの実際の筋力との差から、自分の身体に無理をさせて挙げ句、腕が攣る指を痛めるという悲劇が再三ならず発生しているので、意識がふわんとしているときには手を出さないほうがいい。しばし黙々と作業。新聞紙や広告なども片付けたら、昨秋衣替えをして結局袖を通さなかったセーター、掛けなかったストールなども出てきたのでざっと整理。

 発言小町など、元記事に向けてのリプライを投稿してからそれがアップされるまで幾らかのタイムラグがあるサイトではままあることだけど(そしてそれだけが理由ではないけれど)、おもに元記事の発言者に対する非難の色が濃い言説がなんどもなんどもほぼ同じ内容で繰り返されているのをみることがある。そういうのって、『侍女の物語』に出てくる、「集団製作」みたいだと怖気を振るっている。みんなが怒っていなくても自分ひとりでもそうすべきときには怒ればいい。逆もまたしかりで、べつにおつきあいで怒る必要など本来ないはず。そういう局面におかれたとき、わたし空気よめないのかなそれとも天邪鬼なのかなと密かに考えこみ、気がついたときにはその状況は収束している。

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 昼間、ちょこっと自分を接待してみた。ビールは飲んでいないぞ。