ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

少将滋幹の母

 日本版ウィキペディアで平安初期の著名人を調べていたら、時平が伯父の国経の北の方を掠って自分のうちに連れ帰ったエピソードが出てきた。時平は当時左大臣で、国経は大納言。在原棟梁のむすめである国経の北の方は、つまりは在原業平の孫でたいそうな美人だった。このはなしを谷崎潤一郎が『少将滋幹の母』という小説に仕立てて新聞で連載した。高校のときに読んだかしらと思いつつ、Kindleで探す前に青空文庫で探したら、ありがたいことにありました。

 

図書カード:少将滋幹の母

 

 時平のもとに連れてこられた当時20歳を少し超えたくらいの業平の孫娘が同70代半ばの国経の大納言との間に儲けていたのが滋幹で、その後、時平の胤として生んだのが敦忠の中納言。若くして亡くなるけど、存命中は博雅三位を凌ぐほどの音曲の才に恵まれた貴人だったという。色好みの代表格として挙げられる平中にまつわる逸話や、天台の教義に触れるような描写もまじえて、この国経にとってはまことに惨い話は平坦に終わるのだけど、それはそれは面白かったですよ。

 

 

少将滋幹の母

少将滋幹の母