ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

いのち永らえることを言祝ぐ

 

「長生き」=「豊かさ」なんですよ、わかっているんですか - シロクマの屑籠

医療技術の水準の高さ、社会保障の充実、おうちの人の情け、とりあえず戦闘状態にはない国内の安定といったものの恩恵で生かされております。ありがとうございます。

2016/07/13 07:36

 

 原因不明の難病というほどではなくても、機序が明らかにされているとはいいがたい病に罹っているようであると「宣告」されたとき、ジェット機の突入した大きな建物の崩れ落ちるその中にいたり、内戦状態の中欧の小さな町の辻で上のほうから狙撃されたり、そういう状態で亡くなったかたに思いを致したりはしなかった。その「宣告」の当時は、全身症状が出ていて、別に痛いところはないけどとにかく体中に力が入らず箸も茶碗も満足にもてなかったのでめしも食べられず思考する力も低下していたから、あらなんだかリアクションを求められているかもしれないけど、とにかくこのお医者さんが目の前からいなくなったらまためしのために起こされるまでの間、なんどきか寝てすごせるわあとぼんやり思い浮かべていた。

 NHK大河ドラマの『真田丸』で、真田信幸のはじめの妻である「おこうさん」が、お櫃かお釜から信幸のめし碗にめしを盛ろうとして力が入らず見かねた信幸が自分で碗にめしをつけるというシーンがあった。「おこうさん」は、のちに信幸のもとに家康の養女が輿入れするにあたって離縁され、それでも侍女として真田の家族とともに暮らすという選択ができるくらいに元気になるのだが、ドラマのはじめのころは義理の姪である赤ん坊さえ満足に抱っこできないほどやまいのために非力である女性として描かれている。『真田丸』のなかでは、彼女の筋力の低さはどちらかといえば笑いと、労りの種だが、もっとも具合が悪いとき、わたしは、あの「おこうさん」よりも、もっと力が出せなかった。だからめし碗の場面を最初にみたときには、ほとんど笑えなかった。

 「おこうさん」がなんの病気であったのか、わたしはしらない。彼女は養生の甲斐あってか、なかなか元気になったけれども、わたしはたくさんの薬剤と手厚い看護のおかげで、現況としては生きている状態だ。その医療水準の高さ、社会保障、衣食住を満足させてくれる家計、そして、完全に安全とはいえないまでも滅多に刺されたり撃たれたりしない治安のよさゆえに、安土桃山時代の同病の人よりも長い時間、生き延びることになった。

 もっとも、同じ疾患、同じ時代でも、地域や階層によって、アムロ・レイが嫌悪感を抱いた、いわゆる「生残率」には差が生じることであろう。だが、それをふまえてもなお、いのち永らえることは言祝がれるべきことであり、人類が目指してきた豊かさの果実であるととりあえず措定して、そののちにひとつひとつの生の幸不幸について考察するというのでいいのかなあ。