階層とか品格とか躾とかマウンティングとかひとつひとつ考えると面倒なので、なにか厭なことに遭ったら、相手はわたしのことが嫌いだからそうするのだと一律に割り切ることにしている。
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2017年11月1日
「どうかわたしを好ましく思うようになってください。」と、口に出して/文字にして相手に頼むのは、現代的感覚ではあれだけど、万葉集ぐらいまでならぎりぎりありかもしれないと素人考えでは感じる。
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2017年11月1日
昨夜来、妙に喉が渇いて、しかし、白湯や玄米茶など一時の欲求にしたがってじゃぼじゃぼ飲めば、その後になぜか飲んだ以上の水分が身体から流れ去っていくので、夜中や未明、明け方に目を覚ましては、ひとくちふたくちにとどめていた。面倒を掛ける、難癖をつけるという行いは、既に離れがたく親しく結びあわされた間柄においては、まったくなになにちゃんはまた、と溜息をつかれつつ、なんとか按配されるものかもしれない。そうではなくて、ほとんどお互いを知らない同士で、一方が他方に仕掛ける厭がらせや無礼な振る舞いは、とりあえずは柔らかく受け止めるが、そのあとは知らぬ顔で通す。可能性としてのお厭さんではなく、確定的にわたしを嫌いな「あなた」がやらかしたあれこれは、きちんと憶えておりますけれども、目下参加している命を賭けたゲームに比べれば、まあなんとも。
かといって、忌まれることが嬉しいわけではないけれど。