「暴力」を意識しなかった日馬富士。こんなにも遠かった世間と角界の距離。 - 相撲 - Number Web - ナンバー
土俵の外で故意に暴力を加えて傷害を負わせることが罪悪であるとの認識は彼にもあった。ただし、朋輩の身体に手を掛けて有形力を行使することについて一般会社員等とは敷居の高さにおいて厳然たる差はあったろう。
2017/12/02 09:52
これは、およそ3週間前につけたはてなブックマーク。大相撲が、プロスポーツであるか、伝統技能であるかはともかく、一般的な会社従業員よりは、はるかに同僚の身体に触れて押して撲って蹴って吹っ飛ばすことの多い職場であることは確かだ。その後の各証言から、ただ単純に酩酊した日馬富士が被害者の態度に立腹して暴力を振るったというだけのはなしではないことが明らかになっていったが、ともかく、今回、後輩を殴って怪我を負わせた責任を取って、日馬富士は角界を去っていった。
ハッシュタグMetoo絡みで、広告代理店のクリエイターだった男性が、「価値のないお前」と後輩の女性を貶めた上で、女性を紹介するか本人自身の身体を提供するかなどと迫ったという。そういう職種の人間にとって、ことばというのは、力士の腕力、身体能力に相当する。そして、仕事の上でもいろいろと事実上の決定権限を保持していたわけだから、その後輩女性は、二重に、いわば「呪(しゅ)をかけられた」状態に陥ったのだろう。そのクリエイターとの関係を断って数年が経ち、ハッシュタグMetooの流れが起こったとき、自身もことばを遣って人を動かすプロであるところの彼女が、その流れに乗るまいことかと思ったとしてもおかしくはない。
では、この斜めにそれた大騒動について、プロではないわたしたちができるもっともよいことは、なんだろう。
『子連れ同心』に通じる、やさしい風合い。