ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

わたしはあなたのおもちゃじゃない

 桜木紫乃ホテルローヤル』を、わたしは小説としてよりは一種のルポルタージュとして読んだのだけれども、たとえば、過疎の町の、あまりはやらない寺に嫁いだ女が主たる檀家の男たちに定期的に身を任せることが、その寺の経営、ひいては住職夫妻の命を繋ぐ布施の対価の一部になっているという話など、かりに実際にあったとしても、ほぼ「ほぼ」表には出ないエピソードだろうから、かえって厚みを伴ったリアリティを感じるのだ。

 一般に、人はわたしに生々しい話をしてきかせない。よい例が、わたしの両親で、親戚の者の不行跡など、ほかのきょうだいは皆ほぼリアルタイムで知ることができたのに、わたしだけがこの年になってやっと母の昔語りによってそれをはじめて知らされるようなことは枚挙に暇がない。また、友人と思っていた人のいわゆる恋人とついたはなれたも、「聞かせるに忍びない」という口上で、細部を教えられることが少ない。もっとも、こちらは、そういうことを聞きほじるつもりもない。どうやらわたしは、「キノオケナイ」タイプの対極にいる型にあてはまるようで、それなら無理に他人の事情に首を突っ込むこともないかと。

 自分と似たような年格好や境遇の、男や女のありようのゆくたてを、だから、わたしは、殆ど委しくしらない。その代わり、しばしば極端なケースにも一瞬だけ、それも間接的に触れることがある。でも、それは、瞬間かつ物越しで見聞きするだけなので、涙を含めた体液がこちらに浴びせられることも聴力を一時的にせよ奪うほどの大音量の叫び声を聞くこともない。

 なに、この精神的な真空状態。

 ゆえに、「あなた」の、現在の喜びや苦しさを、ほんの少し、文章にしたためて、いや、なんなら文殻の端にでも書き付けて、わたしに見せてください。もちろん、あなたは、わたしのおもちゃじゃありません。でも、あなたのパサージュは、わたしのご馳走になります。血肉にするのも、取り入れ損ねて胃腸を傷めるのもわたし次第ですが。

 

ホテルローヤル (集英社文庫)

ホテルローヤル (集英社文庫)

 

 

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今年は、左の色のしかまだ咲いていない(写真再掲です。)。