ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

ぽんと叩くのと、踏み潰すのとは、ちがう

 殆ど時事問題については書かないブログだけど、人体六〇〇万年史を読んであらゆるトラップにはまっている人類とわが身を省みてくやしくなったので、本日は現実に逃避することに。

 まず、テロ組織に拘束されていたジャーナリストが、公的機関による勧奨に従わず現地に赴いたために、その救出のためにたくさんの人手を割かせ、また、カタールが拠出したといわれる3万ドルの身代金が組織の活動資金に加わったと非難の対象にされている。そりゃ、人的な負担はもとは税金で雇った公務員やそれに類する人たちについてだろうし、カタールだってまったくの見返りなしにそれだけのお金を邦人救出のためにぽんと出したりはしないだろう。それはそうなんだけど、帰国の機内でインタビューを受けてああいったこういった、成田に着いてからどうしたどうしないを少なくとも同じジャーナリストやそのOBOGが重箱の隅をつつくように論うのは、いくら視聴率第一のテレビとかでもよしといたほうがよかったと思う。

 それから、渋谷のハロウィンで、路上駐車していた軽トラックをひっくり返して上に乗っていた人、店舗の敷地、公道上で酒を零したり放尿したりする人、ごみをそのへんのほっぽらかして自分では持ち帰らない人、前述の軽トラックのことを「わたしの父の車です」といってリツイートを希望していたアカウントの人、まだほんとうのハロウィンにならないけどいろいろあるみたいだ。いまはむかし遠い学生のころ、表参道のひとつ入ったカフェでコーヒーを飲みながらそういえばもうすぐハロウィンだとか話していて、仮装の子どもも滅多に見掛けず、わずかに洋菓子屋の店頭に柿色と黒を基調にしたイラストが飾られていたぐらいだった。

 商店街と住宅地では、厳密にいえば事情は異なるだろうけど、お店の人住んでいる人、迷惑を通り越して怖い思いもしているようなので、そろそろなにかを捨てて何かを守るという決断を、商店街と住民が主体となって下す時期にきているのではないだろうか*1

 さはさりながら、お小遣いを握りしめて渋谷や原宿に洋服を買いにきていた遠方の若い人たちのその界隈に向ける気持ちが少しわかるだけに、「田舎の人が渋谷を占拠して大きな顔して騒いでいる」などと、テレビで地元のお店の人たちがインタビューに応えるかたちで喋っているのをみるのはさすがにつらい。お店の人たちはたしかに多大な迷惑を掛けられている。それはわかる。わかるけれども、渋谷の繁栄を支えてきたのは、東京人だけではなかろうに。

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*1:マナーや躾の問題というよりは、集まる人数にハコの大きさが対応しきれないのでは。人数制限という量的規制が無理ならば、極端な話、一律禁止しかない。