ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

アイヒマンを探せ

 『検事フリッツ・バウワー』には、アデナウアー政権下の旧西ドイツで、フランクフルト/Mのある州の検事総長が、ときにはモサド東ドイツ検察庁と駆け引きをしながら、南米からもとナチス高官のアイヒマンイスラエルに移送して裁判にかけるまでが描かれている。自身がユダヤ人で、戦時中は亡命を余儀なくされた彼に、表面はともかく、新生ドイツの人々による当たりは、けっして優しくない。日常的に脅迫され、ときには直接、暴力を加えられることさえある。

 実は、この映画には、アイヒマンの行方を探索するエピソードは殆ど出てこない。西ドイツの政権中枢にいる複数の高官らが、わずか15,6年前のナチスの体制内でどんな役割を果たしていたかがバウワー検事総長の真に明るみに出したい事実なのだ。アイヒマンは、その証人といってもいい。しかし、真相究明は、東西冷戦の最中にあって、ひとつの証拠、ひとりの証人がいずれも政治的な取引材料とされ、いってみれば頓挫する。そういう絶望のものがたりだ。