わたしは、いわゆる「お気付きの点」があると、相手に伝えることの多いほうだと思う。かといって、うるさがたということで厭がられるのも、まず心情的に嬉しくないのと、あとあと禍根を残しかねないのとでそこは悩ましいところなのだけれど、自分にとっての当座の不都合も解消ないし最小化したいわけで。
取り立ててブログに書いてシンパシー(同情というよりは濃度が小さい感じがする)をふたつみっつ集めようとも思わない小さなことだけど、それが両手の指では足りないほど溜まった。人との縁が薄いのは一向に構わない。冷たく扱われれば多少は傷つくけれど、どうしてもその人と近しく在りたかったのかと自らに問えば、答えはもう霧の向こうに消えていってしまっている。ただ、時期がくれば周期的に祓わねばならない禍蛇のようなものがわたしのようなふつうの人間の心にもだんだん散り積もるのではないだろうか。