ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

もっと大切に扱ってください

 わたしが長らく住んでいる公共住宅は賃貸で、だからというわけでもないだろうが、会えば優しげな顔で会釈する両隣のいずれも老齢の奥さん方でも、けっこうな勢いで掃き出し窓を閉じる。まるでサッシの隙間に吹き溜まる、ゴブリンを衝撃波で撃滅しなければ孫子の代まで後悔するとでも刷り込まれているように。ああ、やっぱり自分の持ち家ならば、多少は穏やかに戸の開け閉てを心懸けるような気がする。賃貸と自家所有と、どちらが上とは断じがたいし、そもそも自分も賃貸住宅に住んでいるけど、賃貸の暮らしは、多少、あっさりして、少々荒っぽいかもしれない。

 さて、タイトルは、建具や什器についてではなくて、人間に関するはなし。それも、ほかならぬ、わたしのはなし。誰かとわたし、「友だち」と一旦互いに認識した後ならば、不人情な仕打ちをされたらやめてくれとかもっと気にかけてちょうだいと頼むこともできるだろう。でも、そもそも友だちとは思ったことなどない、とか、友だちと思ったけれどもそれは錯誤だった、とか、もう友だちはやめる、とか、相手にも何らかの言い分があって、冷たくあしらわれて関係を断ち切られることがある。そういうときには、わたしは、割合あっさり諦めてしまうほうだ。それはなにも、ほかに誰か友だちになる人が幾らでもいるとか、そういうわけではない。むしろ、その人をのがしたら、ほかには誰もいない、ぼんやりひとりで過ごすしかない長い時間が与えられるだけのことのほうが多い。でも、追わない。その人に、どうしても、どうしても、友だちとして、自分のそばにいてほしいのか、何秒間か考えて、どんなにすばらしい人であっても、厭がるものをむりやり繋ぎ止めておくのは殺生、と手を離してしまう。

 では、「家族」ならばどうなのか。生殖や婚姻などで繋がった人間とのつきあいは、友だち以上に情けない思いを生むことがある。ふつうにまじめに生きているつもりでも、きっと、わたしには、至らない点が多々あるのだろう、いわゆる、「いい噂を聞いたことがない」という定型句を陰口で遣われることが多いらしい。13歳以降、人の悪口、言い訳、愚痴をほとんどいうことなく、こつこつ勉強したり、小銭稼ぎと家事に励んできたりしたけれど、それにもかかわらず、わたしに限っては、遠慮なく陰口を叩かれる。フェアネスってなにさ。仲間うちでしか通用させない小銭のこと?

 

女性から好かれないノンケ男子は生きにくい?

人として生まれて、どこかで「他人にそれほど好まれない自分」を受け容れて、満足するレベルを下げてしまったほうが心身ともに楽になれるとは思う。それを「負け」と思う他人がいたって、所詮他人じゃないの。

2019/06/18 13:11

  なあ、ぼくら、まちっと親切にしてくれと、周りに望むのは、もうやめにしないか。友だちも家族も、自分のことで忙しくて、最初に交わしたはずの約束なんてとうに忘れてしまってるじゃないか。こちらから向こうに対して示す配慮の量も、ほんと、ほどほどでいいんだ。並みより見目よくなかったり、少々鈍かったり、反対に過敏だったり、発達具合に問題を抱えていたり、だからといって、粗略に扱っていいわけはないよな。まったく情けないというか、悲しいというか。腹だってさすがに立ってくる。でも、その怒りを外に向けるんじゃなくて、これからどうにか自分を育て直そう。大切に、健やかに、残りの人生を少しでもいいものにして楽しく暮らそうよ。

 

生きているのはなぜだろう。 (ほぼにちの絵本)

生きているのはなぜだろう。 (ほぼにちの絵本)

 

  読んだけど、ちょっと、わたしにはまだ難しいかも。要再読。