ぴょん記

りんご、いただきました。

まるで『天人五衰』のような頽落

 林真理子『愉楽にて』読了。五十路に達した、当代の「男君」たちは、同世代の中国人の才女に惑溺した揚げ句、残された羽衣を抱きしめて嘆き悲しみつつ、ほどほどの生や、崖っぷちの実存に向かうことになる。善美を尽くした装飾や、東西の美味佳肴を揃えた宴席も、もはや男君たちの心を慰めるには十分ではない。

 

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

  月曜に物騒な目に遭った。午後1時半ごろだった。その界隈は、とても安全といえるような場所ではない。にもかかわらず、そのあたりへ足を踏み入れたのは、そこに自宅より最も近い区役所の支所があって、住民票の写しその他の交付を受けるためには、不愉快な思いをするのを覚悟の上で、そのへんに出掛けねばならないから。

 とはいえ、では、たとえば東京都内のどのあたりならば安心して出歩けるかと問われても、このあたりならば、と、確実に指さすことはわたしには難しい。そして、ただ出掛けるだけでも厭なことに出くわしそうなのは、場末だからという理由付けもあるいは可能かもしれないが、自分の住むあたりを「場末」呼ばわりすることは、長く住まう者としてあまりにも無責任だと思う。そうそう、同じ区内の別のエリアで、自分たちの住む町内を「場末」という人たちがいたが、かれらだって、よその人からいざ場末呼ばわりされてみると、そりゃもうけっこうはげしく怒っていた。だから、自分で「場末」だの「醜男」だのいっている人がかりにいたとしても、けっして他の人は和してはいけないのだよ。自分でいうのと、他人からいわれるのとでは、同じことばでも大いに違うものなのだから。

 さて、月曜のトラブルとは、わたしがその駅の構内のATMでお金を下ろそうとしたら、後ろからきた還暦くらいの女性が、「わたし、○○分のに乗りたいから、順番を譲りなさい」と割り込んできたというものだ。わたしは、「けっこう長らく待っていたし、それはあなたの都合ではないですか。」といいながらも、験が悪いので1つしかないATMを譲って、お金を下ろすのを諦めて改札をくぐった。わたしがホームに上がったとき、その○○分の電車は、ちょうどホームを離れるところだった。だから、奪い取ったATMでお金を下ろして、わたしのあとに改札を通ったであろう、その還暦くらいの女性は、確実に、その電車には乗れなかったと思う。ところで、彼女、わたしは順番を譲ったけれども、それに対して礼のひとつも口にしなかったなあ。

 その還暦くらいの女性によるわたしに対する行いが、じわりと後から効いてくるタイプの迷惑行為であることは、当初からわかっていた。自分で書くのもどうかと思うが、わたしは、とても従順そうにみえる。実際、人からものを頼まれれば、多少自分が損をすることになっても、その希望を叶えてあげたいと思う。ご賢察の通り、つねにカモにされやすいけれど、ここぞというときに判断を誤らなければ、ふだんの暮らしにおいては、そのくらい人がいいやつと、侮られても構わないだろう。

 だけど、こういうのは、やはり後味がよくない。いかにも没義道だもの。だからといって、どこかに苦情をいうわけにもいかない。駅の人にも、ATMを設置管理している金融機関にも、また、たしかに義務なきことを行わしめられたわけだけど、わたしが自ら譲ったのだから、その女性の行為が強要罪を構成するわけもなく、だから警察の人にも相談できない。

 このあたりは、レジ前における割り込みとかもわりと多い。例の、このごろよく行くパン屋さんでも、すでに、2、3回、すいっと横入りされている。見ているお店の人もあえて注意しない。理由は、皆目見当もつかぬ。